アーセナルが熱視線を送る
--中島ファラン選手と言えば、デンマーク時代の活躍が印象的でした。
当時、アルビレックス新潟シンガポールでプレーしていました。リーグ終了後、デンマーク二部クラブのヴェイレBKに途中加入しました。ヴェイレは昇格争いをする二部のチームで、6ヶ月だけ下のリーグで頑張ってスーパーリーガ(デンマーク1部)に行くためのいいチャレンジだと思っていました。ヴェイレは過去に多くのタイトルを獲ったチームだったのと、デンマークはスカンジナビア半島でも最高のリーグなんで、ここで成長するのはありだと考えたわけです。
ヴェイレはキム・ポールセン監督になってからパスサッカーをするチームになったので、凄くやりやすかったです。21歳で入団してから、2部リーグ優勝とクラブの年間最優秀選手賞にも選ばれました。自分の中では、「短い間にやっと認めてくれたな」と思いましたね。
--翌シーズンは、待望の1部リーグでのプレーですね。
しかし、22歳で迎えたスーパーリーガの挑戦は、かなり厳しかったです。試合でも勝てないことが多かったんですが、何とか少しずつですが結果は残していきました。でも、結局、最下位になってチームは降格してしまいました。
シーズン終了後に、新しい監督も入ってきてチームも変わっていきました。そこでFCノアシェランからオファーがあって、契約が1年残っていたけどヴェイレの降格もあったから4年契約で移籍しました。
--ノアシェランでは1年目にリーグで7得点を決めました。
ノアシェランは契約前から11番をくれることを約束してくれました。前に11番を着ていた選手はチーム内得点王でFCコペンハーゲンに移籍した選手だったから、期待とプレッシャーがすごかったです。
最初の1年半は俺にとって凄くいいシーズンでした。アーセナルからも僕を見にスカウトが来たこともありました。僕はそのころデンマークでは期待の若手選手という感じで見られていましたね。
--アーセナルが!?それは、凄い。
ある日ブロンビーの試合(結果は引き分け)で、アーセナルのジャケット着たスカウトマンがVIP席に座って試合見ていたんですよ。そこで、記者が「どの選手を見に来たんですか?」と尋ねたみたいなんですね。次の日新聞に「中島ファラン一生とマルティン・ベアンブルクを見に来た」と書かれていたんですよ。僕も、まだ23歳だったこともあって、二人でばか騒ぎしましたよ。
だけど、スカウトマンが見に来た試合で点を決められなかったから、話は流れてしまいました…。今思うとビッグチャンスだったんで、やらかしたなーと思いましたね。だけど、ヨーロッパは一試合で全てが変わるってことを痛感しました。実際、シモン・ケアは2試合活躍してパレルモへ移籍しました。
ノアシェランでは他にもいい経験しましたよ。UEFAカップにも出たり、オリンピアコス(ギリシャ)とも試合しましたね。