カナダ代表になる。1分以内で即決

--デンマーク時代にカナダ代表としてデビューしていますよね?

ヴェイレが昇格したばかりの頃(2006年9月)、11月にハンガリー代表と試合するメンバーとして招集されました。

デンマークではイギリス国籍登録だったんですけど、カナダ協会から「カナダ生まれの噂聞いているけど、カナダのパスポートは持っているのか?」と聞かれました。俺はカナダで生まれたけど、カナダのパスポート一回も使ったことないんですよ。今までイギリスか日本登録だったので、どうやってカナダ協会は僕を見つけたのかわからないんですよね(笑)。

--えー(笑)。

「カナダ代表で出たいか?」と言われたんで、決断には1分もかかりませんでした。家族はカナダのカルガリーに住んでいるので、僕の活躍する姿を家族に見せたかったという気持ちも強かったんです。イングランド代表も日本代表もチャンスはないし、シンガポール代表でやるよりカナダ代表でやったほうがいいと思ったわけです。

--日本代表に選ばれなかったのは残念でした。でも、カナダ代表として30試合以上に出場しています。

今まで37試合に出場して、若い頃は出られないときもあったりしたけど、2006年からプレーしている分かなり馴染んでいますね。2013年のフレンドリーマッチ(カタール開催)で、日本代表とも試合できたことは大きかったですよ。(日本でうまくいかず)悔しい気持ちもありましたし、オフィシャルゲームで日本とやれることは凄く楽しみでしたね。都並さんもコメンテーターで俺のこと話してくれたりと、自分のことを見ている人達のために戦う気持ちは強かったですよ。

--ヴェルディの下部組織時代のエピソードはありますか?

日本では、ロンドンから帰ってきてヴェルディ・ユースに再加入した当初は日本語をほとんど忘れていました。言葉が通じなくて苦労しましたし、日本に来るために当時の彼女とわかれたりしました。とても、辛い時期でしたが、サッカーが大好きだったので頑張りました。

パスミスをしたら菊原士郎さんに「外人帰れ」と言われたり、スタメンではなかった時期もあります。当時ヴェルディの指導者だった菊原さんや都並さんにはお世話になりましたあ、認められなかったという気持ちもあります。「Prove them wrong」、今まで認めてくれなかった人達を認めさせたかった、というのはその後の大きなモチベーションになりました。

--日本代表と対戦してどうでしたか?

残念ながら20分しか出場できなかったことと、負けたことは悔しかったですね。僕自身、カナダ代表ではあまり結果残せていないんですよね。1点しか決めていないし(セントビンセント・グレナディーン代表戦)、シュートがことごとくバーに当たるんで、決めちゃいけないのかなって(笑)。

--代表で一番の思い出は何ですか?

僕の中での一番の思い出は、ブラジル代表と試合した時ですね。2008年シアトルのスタジアムでやったんですけど、4万7000人の中で殆どがブラジルファンでした。僕はスタメンで右サイドハーフに入って、相手の左サイドハーフはロビーニョ(当時レアル・マドリー)でしたね。

ブラジル代表はカカとロナウジーニョだけは出ていませんでしたが、ジエゴ、ジウベルト・シウヴァ、ルイス・ファビアーノ、アドリアーノとスーパースターばかりでてきました。アドリアーノにショルダーをぶつけた時には、俺が吹き飛ばされちゃいましたけどね(苦笑)。

--当時はブラジル代表は本当に素晴しいメンバーでした。

それで、試合中に対峙していたロビーニョがダイブしたんですよね。ボールもイーブンだったのに、わざとこけたんですよ。ロビーニョは俺のこと「バーカ、バーカ」と罵ってきたんで、俺は「ふざけんなよ!てめぇギャラクティコだろ?やんのか?俺はデンマークのノアシェランでやってんだよ!」と口論にもなったりしましたね(笑)。

--お前、銀河系軍団なのにせこいことするなよ、と(笑)。

それでロビーニョとは5回一対一をやって3回ボールを奪ったけど、その内の2回は半端ないシザーズやられて抜かれてしまったんですよね。試合のほうは前半3分ぐらいにジエゴに決められて、うちのDFポール・スタルテリ(当時トッテナム)が抜かれたんですよね。

その時はボロ負けするんじゃないかと思いましたが、うちもメンバーも揃っていたんで結構いい試合にはなりましたね。前半10分にロブ・フレンド(当時ボルシアMG)がゴールを決めて振り出しに戻したんです!25分にコーナキックをクリアした時に、俺は前に走ったんですよ。そこで、いきなりスルーパスがきてジュリオ・セーザル(当時インテル)と1対1になったんです。

--ジュリオ・セーザルは当時、世界でも指折りのゴールキーパーでした。

もう気持ちはキャプテン翼みたいな感じで、殆どフリーでドリブルできたんですよ(笑)。僕は右足を怪我していたんで、左足にボールを持ち替えました。ジュリオはたまらず身体全部使ってタックルしてきたんで、俺は左足でチップキックしたんですよ。ボールはジュリオセザールを超えて完璧なシュートに思えたんですけど、ポストすれすれで外れちゃったんですよ。”アレ”を決めていたら、自分の人生は大きく変わっていたでしょうね。

その他にもウクライナ代表との試合でシェフチェンコとやったり、2014年にコロンビア代表とやった時は、俺が右サイドで左はクアドラードでしたね。その試合もいいスルーパスを通したりと活躍しましたが、ハメス・ロドリゲスにFK決められて0-1で負けちゃいましたね。

--いろんな強豪チーム、スーパースターと戦ったことで何を得ましたか?

カナダ代表の経験はここまできたぜ!という自信になりましたね!

繰り返しますけど「Prove them wrong」、ここまで来れたのは、俺を認めてくれなかった人達のお陰ですね。


ブラジル代表戦での惜しいシュート場面

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