2日に来日したボスニア・ヘルツェゴビナ代表、キリンカップ2016ではデンマーク代表戦と合わせて2試合が行われる。

エディン・ジェコら海外組の一部は不参加となったが、メフメド・バズダレヴィッチ監督がテストをしたいといっていた国内組メンバーが多く含まれている。

だが、バズダレヴィッチ監督の発言で注目を浴びる国内リーグ。1部は16チームで構成され、プレミアリーグの名前で知られている。一見何の変哲もない通常のリーグのように見えるが、そこには壮絶な過去があった。

国内リーグが溢れかえっていた、という過去

ボスニア・ヘルツェゴビナの国内リーグが現在の形に落ち着いたのは2000年を超えてのことである。

落ち着きを取り戻したサラエボの旧市街

東欧のブラジルと呼ばれたユーゴスラビアはそれぞれが独立後もセルビア、クロアチア、スロベニアを筆頭に国際大会で力を示してきた。ところが、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表が初めて国際大会に出場したのは2014年ワールドカップまで待たなければならなかった。

旧ユーゴスラビアが解体したとしても、それぞれの国に1つの民族が住んでいるわけではない。ボスニア・ヘルツェゴビナには「セルビア」人も「クロアチア」人も「ボシュニャク(ボスニア)」人もいた。1992年の独立とともにボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進したのに対し、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため対立が起こった。1992年から1995年までに行われたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で20万人の死者を出し、200万人の難民が発生した。

戦争の爪痕が残るサラエボの建物。銃弾の跡がわかるだろうか?

その後、ボスニア・ヘルツェゴビナにはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、スルプスカ共和国という2つの“国”ができることになった。サッカー界でも、こうした対立の流れは悪しき体制作りを生んだ。ボスニア、クロアチア、セルビアのリーグがそれぞれ国内にできたのだ。

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