パウロ・フットレ
横浜フリューゲルス(1998年)
Jリーグにやってきたポルトガル人選手の第一号が、「欧州のマラドーナ」と呼ばれたパウロ・フットレだ。
彼が現役時代に在籍したクラブはポルト、ベンフィカ、アトレティコ・マドリー、マルセイユ、ミランなど各国の名門がずらり。しかし、32歳を迎えた1998年にカルロス・レシャックが就任した横浜フリューゲルスと契約。13試合3得点を記録し、シーズン終了後に引退した。
ちなみに彼の「10番」に対するこだわりは尋常ではなく、ウェストハムへ加入した際には16番を与えられ憤慨。
「フットレは10だ。16じゃない。エウゼビオは10、マラドーナも10、ペレも10、フットレも10だ。16みたいなクソじゃない」
と怒りを爆発させ、弁護士と相談してまで10番を着けるための交渉を行ったことをハリー・レドナップが自伝で明かしている。
最終的にフットレは「10番」を手にするために10万ポンド(およそ1274万円)を支払ったのだという(ただし、フリューゲルス時代の背番号は31番である)。