次に背負った経験があるのは、家長昭博である。
日本代表として3試合の出場経験がある家長だが、東日本大震災の直後に行われたJリーグ選抜とのチャリティーマッチで10をつけている。
さらに、家長同様レフティーである藤本淳吾もザッケローニ監督時代に10番を背負ったことがある。“ハンドスプリングスロー”で話題となった2012年のアイスランド戦がその一つだ。
ハビエル・アギーレ監督の初陣となった2014年9月、多くのニューフェイスがメンバー入りするなか、日本代表の10番に抜擢されたのは森岡亮太だった。
森岡はウルグアイとのゲームで89分から出場しA代表デビューを果たしたが、ナンバーテンをつけたのはこの一度のみとなっている。
そして、最後の一人は興梠慎三である。
2011年を最後に日本代表から遠のいていたが、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督によって東アジアカップ2015に向けた代表メンバーに選ばれる。
「13」や「30」の印象が強い興梠だが、この時手渡された背番号がなんと「10」だった。