パウロ・ディバラ
(インスティテュートでその後デビューして『宝石』と言われたね?)
「コルドバのジャーナリストがそう言っていたんだ。2回目の試合でゴールを決めたあとにね。家族や友人は『パウロ』と呼ぶよ」
(2部でプレーしたあと、国内ではなくイタリアのパレルモへ行くことを決めたね)
「僕は典型的なキャリアではないよね。それはわかっている。
大きなアルゼンチンのクラブで育ったら、プレッシャーの大きさを理解し、ヨーロッパのために準備ができる。
国内に残ることもできたが、パレルモからオファーが来た時に『なぜここじゃダメなんだ?』と思った。
エディンソン・カバーニやハビエル・パストーレのことを考えた。家族には、『僕は成長のために行きたい』と言ったんだ。
イタリアのサッカーは知っていたけど、まさか全試合に出場できるとは思っていなかったね!」
15歳で父を失ったディバラ、キャリアの始まりと家族との絆とは
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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