パウロ・ディバラ

(インスティテュートでその後デビューして『宝石』と言われたね?)

「コルドバのジャーナリストがそう言っていたんだ。2回目の試合でゴールを決めたあとにね。家族や友人は『パウロ』と呼ぶよ」

(2部でプレーしたあと、国内ではなくイタリアのパレルモへ行くことを決めたね)

「僕は典型的なキャリアではないよね。それはわかっている。

大きなアルゼンチンのクラブで育ったら、プレッシャーの大きさを理解し、ヨーロッパのために準備ができる。

国内に残ることもできたが、パレルモからオファーが来た時に『なぜここじゃダメなんだ?』と思った。

エディンソン・カバーニやハビエル・パストーレのことを考えた。家族には、『僕は成長のために行きたい』と言ったんだ。

イタリアのサッカーは知っていたけど、まさか全試合に出場できるとは思っていなかったね!」

【厳選Qoly】戦術完成度はNo.1!スキッベ体制3年目、充実のサンフレッチェ広島が「相手の予測を上回る」理由。

日本人がケチャドバ!海外日本人選手の最新ゴールはこちら