ダヴィド・ルイス

(サンパウロを放出された後、アメリカ・ミネイロのトライアルを受けたね)

「人生で食料にも事欠いたのはあの時だけだね。10日で2回豆のスムージーを食べただけだ。彼らは僕を求めたけど、二度と行きたくなかったよ」

(その後、14歳の時にサルヴァドール州のヴィトーリアに招待された)

「母に飛行機の料金を払ってもらえないか尋ねたんだ。バスではあまりにも遠かったからね。

金持ちだけが払える額だ。僕は分割払いにしなければならなかったよ。

僕はその時10番だった。そしてベンチに座っていたよ。システムは3バックで、まるでチェルシーのように素晴らしいサッカーだった。

そして、大会でリオ・グランデ・ド・スルのサンチアゴに遠征した。サルヴァドールからはバスで75時間かかったね。

その途中でディフェンダーの二人が怪我をした。しかし、ウイングバックの2名はチームのベストプレーヤーだったから、監督はシステムを変えたくなかったんだ。

ディフェンダーのサブは1人しかいなかった。『誰か居ないか?』と尋ねてきた。そこで『僕がやる』と言ったよ。

彼は『君はディフェンダーをやったことがないだろう』と言った。しかし、僕は答えた。

『今はね』ってね。

結局センターバックで二日間練習して、プレーした。そして、その大会でベストディフェンダーに選ばれたんだ。

そして、サルヴァドールに戻った時はディフェンダーになっていたよ。それが、プロになる1年前の話だよ。

チャンスを自分で生み出すことは出来ないんだ。だから、やってきたときに逃してはいけない。

僕はリスクを冒した。人生を変えた。家族の運命も変えた。

時にチャンスを見逃す人々がいる。挑戦したくないからだ。彼らは可能性を見ることができていないんだよ」