カレン(以下、――)日本復帰おめでとうございます!東京ユナイテッド入りには正直驚かされましたが…
能登正人(以下、省略)ですよね?(笑)なかなか意表を突いた選択だったと自負しています(笑)
――改めて移籍の経緯を教えてください。
バリクパパンを退団してからは、腰の治療をしながら移籍先を探していました。東南アジアだったり、欧州だったり、間口は広げて。ただ、当時は「日本でプレーする」という発想は正直ありませんでした。
ですが、(岩政)大樹さんから直接連絡がきて、そこから全てが急転直下で動いた感じですね。
この度、能登正人選手がPersiba Balikpapan(インドネシア)より東京ユナイテッドFCに完全移籍することになりましたのでお知らせ致します。
能登正人選手、Persiba Balikpapan(インドネシア)より完全移籍のお知らせ | TOKYO UNITED FC https://t.co/SjRJriOXQV pic.twitter.com/u7PF7ATJ85
— TOKYO UNITED FC (@TOKYOUNITED_FC) 2018年1月31日
――元々、お互いに面識があったわけですね。
所属したチームは別だったのですが、タイ時代、お互いにプレー時期が重ねっていたんです。
なので、プライベートでもお世話になりましたし、トレーニングの勉強をさせてもらったりとかも…。大樹さんがタイを離れてからもちょくちょく連絡は頂いてました。
――とは言え、それでも今回の移籍は周囲も驚いたと思います。決め手はなんだったのでしょうか?
そもそも、僕が「日本でサッカーをすることはないな」と頭にあったのは、日本のサッカー文化だったり、クラブ文化に、自分の感性が合わないと思っていたからなんです。ちょっと表現が難しい話にはなるんですが…。
ですが、大樹さんやクラブの方から話を聞いてみると、「東京ユナイテッドは何か違うな。何か面白そう」と思えたんです。
僕は、サッカー以外にもフィールドを広げてきたタイプの人間ですが、そのような面についても寛容的で、「それは続けていこー。クラブの宣伝にもなるからどんどんやってよー」という感じ(笑)
そう言われると、僕もハリきっちゃいますし、そういう理解があるクラブであれば、自分のキャリアのことを考えても「ありかもしれない」と考えたんです。
タレント活動やデザイナー活動においても、「東南アジアより東京にいたほうが広がるな~」と思っていた節もありましたし。
まぁ、関西で生まれ育ちましたけど、今や東京のほうが詳しいですし、僕自身がすっかり「東京人」ですしね(笑)