アドリアーノ(ブラジル/1993年)

1993年のワールドユース(当時の名称)で3度目の優勝を果たしたブラジル代表。そのエースストライカーであったのが、当時スイスのヌシャテル・ザマックスに所属していた若きFWアドリアーノであった。

この大会では得点王が3ゴール、しかも7名いたということで数字にインパクトはなかったが、このアドリアーノは大会MVPも獲得しており「個人二冠」の活躍だった。

ただその後欧州では成功できず、ボタフォゴやアトレチコ・ミネイロを渡り歩いたあと、2001年にはJリーグの浦和レッズに加入。しかしそこでもシーズン途中での退団となり、6ゴールという結果でチームを去ることに。

ただ『IPC』のインタビューで彼は「浦和のファンはクレイジーだった。彼らが試合中ずっと私の名前を呼んでくれたことは忘れられない。日本は一番印象的な国だった」と語っている。

現在はサンパウロでサッカーを使った社会事業「Universidade do Futebol」に関わっているそう。