アンドレア・ピルロ(ミラン→ユヴェントス/2011年)
ユヴェントスが2011年にアントニオ・コンテを監督に任命したことは、黄金時代のスタートを意味する出来事だった。しかし、同じ夏に行なわれたピルロの獲得も、イタリアサッカー界のパワーシフトを感じさせるものだった。
ミランは10年貢献してきた彼を簡単にフリーで放出した。その選択は重大な過ちであったことは後に証明された。ピルロは白と黒のユニフォームをまとい、セリエA4連覇に大きく貢献した。
「アンドレアがユーヴェに行くと言ったとき、最初に思ったのは『ああ、神はいるんだな』ということだったよ」とはジャンルイージ・ブッフォンの談である。
ミロスラフ・クローゼ(バイエルン→ラツィオ/2011年)
ワールドカップの歴史を知っているなら、ミロスラフ・クローゼの得点力を知らないはずがない。バイエルンをフリーで退団してラツィオに加わったとき、彼は33歳になっていた。
年齢を感じさせないプレーを見せ、セリエAでのデビュー戦からゴールを量産。2016年にはクラブの歴史上最も多くのゴールを決めた外国人選手という記録を成し遂げ、キャリアを終えた。