サッカー界でも再び大きなトピックになっている人種差別問題。

そうしたなか、ミランやバルセロナでもプレーした元ガーナ代表MFケヴィン=プリンス・ボアテングがこの件に言及した。彼はガーナ人の父とドイツ人の母のもとにベルリンで生まれた選手だ。

『The Players' Tribune』上で「白人が理解するのは難しいのは分かる。彼らは肌の色が違うことで嫌われたことは一度もないから」としつつ、白人たちにも立ち上がることを訴えている。

一部を要約、抜粋してみる。

『The Players' Tribune』

「ロシア、中国、エジプト、トルコなどの出身者もいたベルリンの貧しい地区で育ったボアテング。

初めて差別を経験したのは、9歳の時に参加した東ドイツでのサッカー大会。

ベリルンから車で6時間ほどしか離れていない土地で、『あのニガーにタックルしろ』、『ニガーにプレーさせるな』と親たちから罵声を浴びたのだ。

ショックを受けた彼は帰りのバスで号泣し、チームメイトたちも泣き出してしまった。

そのことは母親にも言えなかったが、東ドイツでプレーするたびに「ゴールを決めたらバナナをやろう』、「箱に詰めてお前の国に送り返してやる、ニガー』など酷い扱いが続く。

14歳の時には「他の子たちとは違う目で見てる?』と教師に質問。

『そんなことはない」という教師に『なぜ東では違う扱いなのか?ここは僕の国、自分も母もドイツ人だ。なぜ彼らは僕を追い出そうとする?』と問うたボアテング。

教師は『この世には愚かな人間もいる」と説明したが彼は泣いてしまった。

どうしても理解ができなかった彼の当惑は疑心暗鬼に変わる。

自分は嫌われていると思い込み始め、『なぜ俺を見る?嫌いなのか?やってやろうか?』と考えるように。

そこからケンカ腰になったボアテングはレッドカードの常習者になる。ただ、より最悪だったのは誰も自分のために立ち上がってくれなかったこと。

人種差別されていることを知りつつ、親も審判も監督も何もしてくれず。

怒りを自分の中に溜め込むようになり、次第に麻痺していったが、ミラン時代の2013年にそれが爆発。

試合中にモンキーチャントを浴びた彼はピッチから去った。

その行動は世界的な話題になり、クリスティアーノ・ロナウドらもサポート。

FIFAもタスクフォースを立ち上げるなども動いたもの、実質的にも何もしてくれず、ボアテング曰く『何も変わっていない。どちらかといえば、人種差別は悪化している』。