「サッカースクールの業務体験をしたときのことです。子ども相手に人見知りして、一言も話せなくて。同行した先輩に『こいつ、ダメです!』と報告されて…」

『関西のレジェンド』と呼ばれる守屋鷹人(もりやたかじん)選手は、指導者デビューの経験をそう回想する。

神戸国際大学を卒業後にアミティエSC(当時関西2部リーグに所属)へと加入し、それから関西でプレーし続けて11年。2014年はJFLの佐川印刷へと移籍したが、わずか1シーズンで復帰した。

そのプレーはまさに“エレガント”。スラッとした細身の体から、アイデア溢れるパスと繊細なドリブルを繰り出す。関西のサッカーファンから絶大な人気を誇り、いつしかレジェンドと言われる存在になった。クラブはその間にアミティエSC→おこしやす京都ACと名前を変えたが、彼は中心選手としてチームを支え続けた。

2020年3月、その『関西のレジェンド』が32歳で突如現役引退を宣言し、おこしやす京都AC(関西1部リーグ)でそのままコーチに就任することが発表される。

そのアナウンスには誰もが驚きを覚えたが、1年後にさらなるサプライズが待っていた。

「コーチとして過ごした2020シーズンは大惨敗の結果に終わりました。チームに貢献することができず、苦しいシーズンでした。

だからこそ心に浮かびました。チーム一丸となって闘う「おこしやす京都AC」になるために、貢献しないといけないと。

2020シーズン終了後、クラブに提案させていただきました。「自分もピッチに立ち、選手の中に入り、全員が同じ想いを持ち、同じ方向を向いて取り組んでいけるようにする」と、伝えました」

わずか1年での現役復帰。指導者としての挫折。「レジェンド」が経験した波乱の一年に迫ってみた。(取材日:3月30日)

守屋鷹人が『関西のレジェンド』になるまで

――2010年、なぜ当時関西2部だったアミティエSCに加入したのですか?

守屋鷹人(以下省略):大学を卒業するとき、Jリーグのチームにも練習参加させてもらったのですが、どこにも引っ掛からなくて。

そんな時に何度か練習試合をしていたアミティエSCが「Jリーグに行けなければ、うちに来てください」と声をかけてくれたのです。

ありがたかったですね。アミティエSCは『サッカーをしながら子供のコーチができる』という環境でした。大学の同期も一人加入が内定していたので、ここでいいか…と決めました。