――2014年は佐川印刷京都SC(当時JFLに所属)に移籍されましたね。オファーがあったのですか。

そうです。天皇杯で対戦していたので、見てくれていたのでしょうね。

環境はとても良かったです。午前中は練習をして、昼から少し仕事をしました。自前のグランドもあり、すべてがサッカー優先でしたね。いわゆる『意識の高さ』を感じさせてくれるチームメイトもいました。

佐川印刷の選手はとてもまとまっていました。あのようなチームはほとんどないですね。『佐川の伝統』がありました。仲間意識が高く、雰囲気が良かったです。個人の能力も優れていて、やることが統一されていました。規律も厳しかったです。

ベテランの選手はずっと佐川でプレーしている方が多く、そのような先輩が引っ張っていましたね。伝統を引き継いでいたんです。

――しかし、その佐川印刷を1年で退団し、アミティエSCに戻っていますよね。

加入初年度でセカンドステージ(当時のJFLは2シーズン制)を優勝しましたが、企業チームは昇格がないので先が見えなかったんです。

その意味では、関西リーグのアミティエSCのほうがやりがいを感じました。自分だけがJFLに行くことは達成したので、今度は『チームとしての昇格』を成し遂げたいと思いました。

アミティエSC時代の守屋鷹人(14番)

もちろん、アミティエSCのスタッフと再び一緒に働きたい、というのも大きかったですね。

――アミティエが大好きだったんですね。

そうですね。あの頃のスタッフはとても良かったです。みんなポジティブで。

離れていった人もアミティエのことを悪く言う人はあまりいませんね。好きだけどそれぞれに事情があって。僕も含め、今もみんな連絡を取り合っています。

――そのアミティエSCを愛する気持ちが、守屋選手をレジェンドにしたんですよね。加入から11年が経ち、クラブ名は「おこしやす京都AC」に変わりましたが、JFL昇格はまだ叶っていません。

2019年の地域サッカーチャンピオンズリーグ(※地域リーグの王者など12チームが集まり、JFL昇格権を争う大会)の前は、自分たちでも『行ける』と思っていたんですけどね。勢いだけじゃなく、実力で。これが行ける感じなんだと。「全勝でJFL昇格」を目標にしていたのですが…。

しかし、決勝ラウンドでいわきFCに負けてしまいました。

僕自身が彼らと対戦したのは2017年の全国社会人サッカー選手権大会以来でした。その時と比べてかなり強かったですね。

全勝が達成できなかったことと、いわきに完敗だったことで、個人的に少し心が折れました。次の試合(※高知ユナイテッド戦)は引き分けでも昇格できたのに、負けてしまいました。

その理由は色々あると思いますが、最後の最後の一試合で力を出せなかったことだと思います。