「選手としては無理なんですか」から始めたコーチ業、そして挫折

――2020年のシーズン開始前、現役引退とコーチ就任が発表されました。それは自分の希望だったのですか?

僕は、やれるところまで選手としてやりたかったです。ただクラブから「スタッフで入ってほしい」と言われました。

「選手としては無理なんですか」と聞いたら、「無理です」と。

ただ、クラブは自分の将来のことも考えてくれていました。32歳という年齢でしたし、次のフェーズに進む時期だとも思いました。自分自身も今後のキャリアを考えていたところだったので、コーチ就任を承諾しました。

――2020年はコロナ禍もあり、試合数も通常の半分に。4位という結果は難しいチーム状態の現れだったように思います。

新加入選手の中には元Jリーガーがたくさんいて、能力的にも高く、色々な経験を持っていました。練習や紅白戦もとてもレベルが高く、自分も一緒にやりたいなと思いましたね。

ただ、コーチとしては1年目で手探り状態でした。もちろん上手くいくこともありませんでした。

監督と選手の間に入るパイプ役になりたかったのですが、機能しませんでした。監督にも迷惑をかけてしまいました。チームの意思も統一することができていなかったので、非常に後悔しているというか…それが『失敗したな』と思う部分ですね。

――守屋選手はアミティエSC時代にスクールで指導者もしていましたよね。

あの頃も最初はうまく行きませんでしたね。少年団で子供たちに教える感じと同じかな…と思っていたのですが、全然違っていました。

入る前に業務体験があったんです。先輩と一緒にスクールへ同行して、指導者としての適性を測るんですね。

僕はそこで子ども相手に人見知りをして、一言も話せなくて。同行した先輩に『こいつ、ダメです!』と報告されたほどでした。

ただ、それを聞いた当時の理事長が助けてくれたんです。「キャプテンもしているし、ずっとサッカーを続けてきているし、まあ大丈夫やろ」と。

――そんなこともあったんですね。でも今は守屋選手も子どもたちに大人気のコーチになりました。何が変わったんですか?

入るまでは『子どもにサッカーを教えて楽しくサッカーができる』と簡単に思っていましたが、違いましたね。

子どもは素直なので、凄いプレーをしたら褒められて尊敬されますが、カッコ悪いプレーをしたらすぐ「コーチ、弱いな!」と言われるんですよ。

良い影響を与えられるかどうかは、すべて自分のプレー次第でした。そこに気づけたことは大きかったです。

――なんだか「自分もピッチに立ち、選手の中に入り、全員が同じ方向を向いて取り組んでいけるようにしたい」という現役復帰の理由と重なっているような気がしますね。