「お前、FWじゃねえ」その一言で変化した“評価の規準”

――帰国したきっかけは?

本当は2年ほどいたかったです。

半年経った段階で、同じ5部だけど4部に上がれそうな上位のチームからオファーが来たり、エージェント会社から連絡が来たりしました。結果さえ出していたらポンポン上がっていけるシステムなんですよね。

2年やって4部に上がれば、J1やJ2からオファーが来るレベルになる。もともとJリーグでやりたいってのが夢、目標ですからね。

ただ、そんなときに新型コロナウイルスの影響で試合がなくなってしまったんです。1部や2部のリーグは動いていたんですが、それ以下は全部ストップでした。

それが再開されたのはつい2~3ヶ月前です。だから、いいときに帰ってきましたね。

実は、ドイツではそれほど結果を出していないんです。4ゴール2アシストくらいでした。本来は30試合ほどあるんですが、コロナで減って17試合になり、その全試合に出場しました。ただ決定機を外すことが多くて。全部決めていれば得点王にもなれていたと思うんですが…。

「シュートまではいい」「動き出しもポジションニングも非常にいい」と評価を受けていたんですが、「シュートだけはダメだな…」と自分で気づいていました。

例のトルコ人に言われましたね。「このチーム、フォワードがいねぇぞ。決めるやつがいないじゃん」と。「はっ?俺、フォワードなんだけど!」と思いましたよ。

そこからは「点を取ってない試合なんか、自分にとっては論外」と一気に規準が変わりました。シュートに強くこだわりを持ち始めました。

――ドイツから帰国したとき、どのように考えていましたか?

「何のためにサッカーをしているのだろう」と考えました。その中で「両親や今まで関わった人に恩返しする」という想いが強くなりましたね。

新型コロナの影響で生活が不安定で、大学を卒業しても支援を続けてもらっていました。今思えばとても情けないことだなと思い、経済的な恩返しがしたくなりました。

海外に行ったら親は見に来られない。じゃあ、日本で這い上がっていくしかない。帰国を決めた瞬間から、どこからスタートしてもいいから上を目指すという手段をとることにしました。夢は変わりませんけどね。