タフさを培った「過酷なドイツでの一人旅」

――東京23FCに入る前、2019年からドイツのチーム(Siegburger SV 04:ドイツ5部)でプレーされていますよね。

ドイツにたどり着くまでにもいろいろあったんですよ。最初はバルト三国のエストニアに行って、その1部リーグでプレーしようとしたんです。

「英語ができなくても入れる」と言われていたのに、いざ入国してトライアウトに行こうとしたら「お前は英語ができないからダメだ」となって、結局受けられませんでした。

次は、代理人を変えてセルビアに行きました。ここでも1部リーグのチームとの交渉で感触が良かったんです。「明日の練習試合に来てくれ」と監督に言われて準備していました。

ただ、直接やり取りをしていた仲介人から前日夜に「明日は来なくていい」と連絡が来たんです。なので練習試合の日は公園で子どもたちとサッカーをしていました。

なのにその次の日、練習に行ったら監督に「お前、なんで昨日は来なかったんだ」と言われてしまったんですよ。ここもダメでした。

さらにもう1チーム行ったんですが、そこにはフォワードが4人いました。頑張ったんですが、無理だったんです。結局セルビアでもチームが見つからず。

他に行けるところはないかな…と調べたら、ドイツのマーケットがまだ開いていたので行きました。

この時が一番精神的に厳しかったですね。海外に来て2ヶ月も経つのに、まだチームが決まっていない。いつも一人で動いて、変な山道を変な人が運転した車に乗って6時間とか。さらに時差ボケでフラフラしながら車に揺られたり…。

最終的にはそこでチームが見つかって、ドイツでは10ヶ月ほどプレーしました。海外の滞在は1年ちょっとですね。

――ドイツではどんな選手と一緒にプレーしました?

Siegburger SV 04時代の青戸翔選手。中段左から5人目

ドイツ人はもちろんですが、トルコ人やブラジル人、日本人もいました。その中でトルコ人の選手は最悪でしたね。練習中は削りに行ってましたし、いつも喧嘩していました。

分かりやすいんですよ。結果を出していたら大丈夫。とにかく自分が大切、自分が良ければいいって感じですね。

もちろんチームとして勝ちにいくのは海外も一緒なんですが、結果が出なければ罵倒されるのは普通です。自分も言われましたし、逆に自分も言ってましたね。

メンタルがタフになりましたし、結果を出すために何をしたらいいのかということを自分で学びましたね。監督や周りの人がヒントを与えてくれるので、そこから考えました。