「まぁ、それにしてもW杯のPKは足が震えましたね…。
オリンピックの時は、先(自分の前に蹴る日本の選手たち)が決めていて、相手が外していたので、(遠藤)航が1本くらい外しても大丈夫ですよって言ってくれて、気が楽だったんですけど。
W杯の時は前2人が外していて、もうこれはまずいっていう状況だったんで。
震えましたねぇ…オチなし!(笑)」
クロアチア戦は1人目の南野拓実、2人目の三笘薫が外した後の4人目が吉田だった。
オリンピックのPK戦というのは、東京五輪準々決勝のニュージーランド戦のこと。吉田は同じように4人目として蹴ったが、その時は相手が2本外して、日本は3人全員が成功していた。
同じくオーバーエイジとして参加していた遠藤からは外しても大丈夫と声をかけられていたそう(遠藤が5人目だったということだろう)。
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吉田は東京五輪では左下にPKを決めており、W杯でも同じコースを狙ったが、足が震えていたとのこと。失敗してもOKだった五輪の時と比べると、確かに置きにいったようなキックだった。