音楽とサッカーの出会い⁉――
サッカー日本代表の応援ソングを作るアーティストのGAKU-MCさん。無類のサッカー好きで、学生プレイヤーでもあった彼が、この競技にのめり込み、離れ、そして今またサッカー界に欠かせない存在になったその軌跡。6回目を迎えた日比谷音楽祭に毎年出演を続け、会期中にフットボールに関するさまざまな発信も行なっているGAKU-MC氏に、サッカーと自身のキャリアやウカスカジーの活動についてインタビュー。
音楽プロデューサーで、ベーシストの亀田誠治氏が実行委員長を務める音楽イベント。「日比谷音楽祭 2024」は6月に開催され、世代を超えて誰もが楽しめる「フリーでボーダーレス」をコンセプトに掲げる音楽祭の運営を目的としたクラウドファンディングを行なっています。(日比谷音楽祭2024のクラウドファンディングは7月3日まで受付中)
©日比谷音楽祭実行委員会
現在はウカスカジーとして2014年に発表し、『勝利の笑みを君と』がサッカー日本代表の応援ソングとしても使われているGAKU-MCさんだが、これまでには「サッカーにそっぽを向かれてしまった苦しい時期もあった」という。
――今ではサッカーに関するさまざまな発信や制作活動を行っているGAKU-MCさんも、サッカーとの距離を取っている時期があったそうですね。
そうなんです。高校のサッカー部でレギュラーが取れずに挫折を経験しまして、それと同じ頃に出会ったラップという音楽に傾倒していくことになりました。
自分が苦しい時期に出会ったラップは、僕のことを高めていってくれるような存在でもありましたけど、一方ではサッカーに微笑んでもらえなかった高校時代の苦い思い出を長い間引きずっていて、「サッカーなんて絶対に見ない」と心に決めて、関係する情報をシャットアウトしていた時期もありました。
対外的には「ラップが好きでサッカーをやめた」と話していましたけど、その言葉が自分には言い訳のように聞こえることがあって、悶々とした思いでした。
EAST END×YURIの成功の裏で……。GAKU-MCが抱えていた挫折感
GAKU-MCさんは1990年にEAST ENDを結成。(当時はMC GAKU名義)1994年には友人で東京パフォーマンスドールの市井由理さんと組んだEAST END×YURI名義で発表した『DA.YO.NE』がヒップホップ界の初のミリオンセラーを記録。翌年はヒップホップグループとしては初の紅白歌合戦出場を果たし、セカンドシングルの『MAICCA〜まいっか』が新語・流行語大賞に選ばれるなど、社会を席巻した。
かたや同時期の1993年には日本初のプロサッカーリーグのJリーグが開幕して大ブームに……。ジーコやリトバルスキーといった世界的名選手の来日や、さまざまな関連商品が発売なども話題を呼んだが……。当時のことを振り返ってもらった。
――GAKU-MCさんが活躍の場を広げた時期を同じくして、Jリーグが開幕しました。当時の印象を聞かせてください。
この頃から徐々にミュージシャンとしてスポットライトを浴びる機会は増えていきましたけど、それでもまだサッカーへの複雑な思いを抱えていました。当時は朝まで飲みながらクラブで過ごすような不健康な生活を送っていましたけど、それでも意図的に自分の生活からサッカーを排除するようなところがあって、サッカーの試合もほとんど見ていなかったような気がします。
――1993年の日本代表はいわゆる「ドーハの悲劇」によって、あとわずかなところで日本がアメリカW杯出場を逃してしまいました。
ニュースなどで、カズさん(三浦知良、現アトレチコ鈴鹿クラブ)、ゴンさん(中山雅史、現アスルクラロ沼津監督)、ラモス(瑠偉)さんがうなだれている様子は見ていたんですけど……。その時はまだ“サッカー嫌い”でしたから、全力で代表チームを応援するような気持ちになれない時期でした。
――サッカーへの思いが蘇ったのはいつ頃ですか?
アトランタ五輪が行われた1996年の夏です。ふとテレビを見ると日本代表対ブラジル代表の試合がたまたま流れていて。「絶対に勝てるわけがないだろうな……」と思って見ていたら、伊東輝悦選手(現、沼津)の得点が決まり、そのまま1対0でブラジルから大金星を収めたんです。その時の感動的な試合を見ていたら、これまでのサッカーが嫌いな自分が「ダサくてカッコ悪い」ように感じられて……。そこから再びサッカーのスイッチが入りまして、その後は南アフリカ大会を除いて現地のゴール裏に出向き、日本代表に声援を送るまでになりました。
――初出場で3連敗に終わったフランスW杯(1998年)から、目覚ましい成長を遂げてきたサッカー日本代表の現状をどのように捉えていますか?
『ジョホールバルの歓喜』(1997年)を経てフランス大会に初めて出場した時と比べたら、すごい速度で成長しているように感じます。日本サッカー界が成長していく姿を間近で見られていることが僕としてもすごく嬉しいですし、残念ながら僕はプロサッカー選手にはなれませんでしたけど、僕自身も好きなサッカーがそばにある人生はやっぱり素敵だなと思います。