三都主アレサンドロ

続いては、スピーディなドリブル突破や抜き切らないクロスが記憶に残る左サイドアタッカー。

三都主アレサンドロは、高知の明徳義塾高校から練習生を経て清水エスパルスの一員に。1年目から頭角を現すと、3年目の1999シーズンには史上最年少の22歳でJリーグMVPに輝いた。

2001年11月に日本への帰化申請が認められると、当時のフィリップ・トルシエ監督はすぐさま代表へ招集。ジーコ監督時代にはサイドバックにコンバートされ、2002年と2006年のワールドカップに出場した。

ちなみに「三都主」という名前は、自身にとって思い出深いブラジル・高知・清水の三つの都市を意味している。

中村憲剛

Jリーグを含め、日本では「背番号14」の代名詞的存在と言えそうな中村憲剛。

2003年に中央大学から川崎フロンターレでプロ入りすると、2年目に運命の背番号「14番」を継承。ポジションもボランチへコンバートされたことで新境地を見出し、リーグ屈指の司令塔としての評価を受けるようになっていった。

2006年にイヴィチャ・オシム監督の日本代表へ招集されると、中村憲剛や遠藤保仁らとともに「人もボールも動くサッカー」を体現する一人に。

オシム氏の後を受け継いだ岡田武史監督のもとで、2010年の南アフリカワールドカップに出場。ラウンド16のパラグアイ戦で途中出場した。