6月11日に開幕を迎えるFIFAワールドカップ。これまで日本代表は1998年から8大会にわたって出場を続けてきた。
今回はその大会の歴史の中で象徴的な意味を持つナンバーのひとつ「7番」を着用した選手を特集しよう。
1998年:伊東輝悦
1998年のフランス大会、日本代表のワールドカップ初挑戦において「背番号7」を託されたのが伊東輝悦だ。この事実だけでも、彼は日本代表のユニフォーム史において特別な存在といえる。
伊東は決して派手な選手ではなかったが、中盤に秩序をもたらすハードワーカーとして長くチームを支えた。この大会終了後もフィリップ・トルシエ監督によって招集され、2002年大会の前に負傷するまでメンバーに名を連ねていた。
この1998年大会の結果は3戦全敗、そして伊東はワールドカップで1試合も出場することなく終わったが、この経験こそが日本のワールドカップストーリーの原点となった。
2002年、2006年:中田英寿
多くの日本のファンにとって、背番号7といまなお最も強く結びついているのは中田英寿だろう。2002年大会を迎える頃、彼はすでに世界最強リーグのセリエAで活躍するスターとして君臨しており、自国開催のワールドカップにおいての重圧を一身に背負う存在だった。
彼にとってこの2002年大会での象徴的な場面はチュニジア戦だった。日本の決勝トーナメント進出を決定づける2点目を奪い、開催国を熱狂の渦に巻き込んだ。2006年大会ではチーム全体が苦戦を強いられたが、中田は最後までリーダーであり続けた。
そして大会後、まだ20代であった彼は若くしてスパイクを脱いだ。彼が纏った「7」は、日本が生んだ最初の世界的スーパースターの記憶とともに伝説となったといえる。
