6月11日に開幕を迎えるFIFAワールドカップ。北中米の3カ国(アメリカ、メキシコ、カナダ)による共催で行われ、史上最多となる48チームが参加する。
日本代表は1998年大会から連続して8回目の出場となる。今回はワールドカップにおいて日本代表の「8番」を着用した8名の選手たちを特集する。
1998年:中田英寿
当時所属:ベルマーレ平塚
1998年、日本が初めて挑んだワールドカップで背番号8を纏ったのは中田英寿だった。当時からすでに、彼は新時代の象徴としてのオーラを放っていた。
わずか21歳であり、セリエAで世界的なスターに上り詰める前の姿だったが、岡田武史監督率いるチームにおいて最も才能とカリスマ性に溢れた存在であることは疑いようもなかった。
アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカを相手に3連敗を喫した日本だったが、中田の冷静沈着なプレー、技術、そして自信は際立っており、「日本は世界の舞台にふさわしい」と確信しているかのような振る舞いを見せた。そして大会後にペルージャへと移籍し、アジアで最も影響力のあるフットボーラーの一人となった。
2002年:森島寛晃
当時所属:セレッソ大阪
共催国として歴史的な大会となった2002年ワールドカップで、8番を背負ったのは森島寛晃だった。
フィリップ・トルシエ体制下では常にスタメンを確約されていたわけではなかったが、ライン間でスペースを見つけ、絶妙なタイミングでゴール前に顔を出す攻撃的MFとして重宝された。セレッソ大阪で同僚だった西澤明訓との巧みなコンビネーションも期待されていた。
彼の最大のハイライトは、グループステージのチュニジア戦だ。途中交代でピッチに送り出されると、投入からわずか数分で先制ゴールを奪取。スタジアムの空気を一変させ、2-0の勝利に大きく貢献した。この勝利が日本を史上初の決勝トーナメント進出へと導いたといえる。
2006年:小笠原満男
当時所属:鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズで長年輝きを放った小笠原満男。彼が8番を背負ってドイツ大会に臨んだ。Jリーグでは同世代屈指のプレーメーカーであり、パス、セットプレーの質、中盤での冷静なタクトは高く評価されていた。
しかし、ジーコ率いる当時の日本代表は中田、中村俊輔、小野、稲本といった中心選手がひしめく激戦区だった。小笠原に与えられた役割は複雑なものとなり、国内のファンが期待したような活躍は難しかった。
チームもオーストラリアやブラジルに敗れ、クロアチアと引き分けるなど苦戦したものの、彼が置かれた立場は当時の日本の中盤がいかに層が厚かったかを象徴しているものだ。
