リオ五輪が今週閉幕し、日本は全体として歴代最多のメダル数を記録した。男子サッカーは惜しくもグループステージ敗退となったが、歴代の10番を振り返ってみよう。

U-23チームとして五輪に挑んだのは全部で7回、1992年大会は予選落ちしたものの1996年大会からは6大会連続で本大会に出場している。

1996年アトランタ五輪 遠藤彰弘

鹿児島実業高校卒業後、横浜マリノスに入団した。鹿児島実業時代から「遠藤三兄弟」の次男として知られた存在だった。ガンバ大阪の遠藤保仁の実兄としても有名だ。

キャプテンの前園真聖、中田英寿、川口能活、伊東輝悦ら精鋭揃いのチームの中で10番をつけたのは遠藤だった。

初戦を戦うのはロナウド、ジュニーニョ、ロベルト・カルロスらにオーバーエイジでアウダイール、ベベット、リヴァウドとA代表の主力をそろえた史上最強のブラジル代表だった。

何と“マイアミの奇跡”としてブラジル代表を下した日本代表。しかし、3試合を終えて3チームが2勝1敗で並び勝ち点6ながら得失点差で及ばず惜しくもグループリーグ敗退となった。グループリーグで2勝をあげながら突破できなかったというのは五輪サッカー史上初の出来事であった。

遠藤は2001年に日本代表候補に選ばれたが、A代表としての出場はなし。2005年まで横浜F・マリノスに所属し、その後はヴィッセル神戸へ移り2007年までプレーした。

現在は、指導者として子供達を中心に教えている。元妻は、現在美容研究家として活躍し、オリジナルのつけまつげなども出している神崎恵。

【次ページ】シドニー五輪