――その浦和から2010年12月にレヴァークーゼン移籍が発表されました。海外移籍を決断した理由やきっかけは?

2010年のシーズンの最後、2011年の頭に行って契約をしました。それまでに世代別の代表、(北京)オリンピックも行かせてもらいましたが、フル代表に入ったこと。それが一番大きな決断の理由です。

昔から欧州の4大リーグのどこかでやりたいとずっと思っていて、当時から代理人の方とも契約していました。ベルギーとかそういうところではなく、ドイツ、スペイン、イングランド、フランスなど、要するにヨーロッパの『レベルの高いリーグ』と言われるところでやりたいと。今はベルギーでも注目してもらえますけど、当時はそういう感じではありませんでしたし。

浦和に対しても毎年のように「チャンスがあれば行きたいと思ってる」と言わせてもらっていました。ただ今の時代とは違って、当時は基本的に日本代表に絡んでるような選手しか移籍があまりできない感じだったんです。何より日本代表に入らないと海外に行くわけにはいかないだろうと思っていました。代理人にも「日本代表に自分がなれないんだったら俺には資格はないんで海外には行きません」とはっきり言っていたので。

そんな中、南アフリカのワールドカップを終えて、ザッケローニ体制に入る前に(暫定で)原博実さんが2試合繋いだんですけど、そこで初めて招集してもらって。今まで「日本代表に入らないと海外に行けない」「行きたいけど行くわけには行かない」と言っていましたが、日本代表に呼ばれ、「日本代表としてプレーしたんだから(海外に)行きたい」と代理人に伝えたのは覚えてますね。

――レヴァークーゼンに加入してすぐアウクスブルクへローン移籍されました。当時あまりない移籍の形態だったと思いますけど。

レヴァークーゼンはもちろん複数年で契約をくれていました。ただ僕が入った当時は(チリ代表)ビダルが出てて、他にもバラック、ロルフェス、ラース・ベンダー、ゴンサロ・カストロ、シュテファン・ライナルツ(全てドイツ代表)、ボランチじゃないけどブラジル人のレナト・アウグストとかああいう選手たちがいて。

レヴァークーゼン側は「(細貝を)欲しいと思ってる」「オファーも正式にしたい」と言ってくれたんです。ただ現状中盤が溢れてて、ドイツの生活や1部2部を問わず「ドイツのリーグに馴染む時間が必要だ」ということで最初からレンタルとしてのオファーでした。レンタルで最初の1年はとにかく過ごす…そういう内容の契約です。それで「じゃあレンタル先をどこにしようか」というので代理人とレヴァークーゼン側で話をしていて。

候補としてはカイザースラウテルンだったりとかいくつかある中で話し合いをして、結果的にアウクスブルクに行くことになったんです。他にもダイレクトで1部に行くこともできました。レヴァークーゼン以外にもブンデスリーガのチームでオファーをくれていたところがあったので。でもその選択が自分には合ってるんじゃないかなと思ってレヴァークーゼンと契約をし、2部のところにレンタルしに行ったという感じですね。

――チリ代表のビダルは同じポジションでしたが彼のプレーに触発されたりはしましたか?

当然かなり映像を見ていました。運動量もすごいし、「ああ、これが世界のトッププレーヤーの質なんだな」というのは思いましたね。

あと僕がレヴァークーゼンへ行った時に彼はユーヴェ(ユヴェントス)に移籍したのかな?外に出ていったんですけど、ビダルが家賃を払わずに出ていったんです。それで僕がレヴァークーゼンに行った時、最初にクラブから「家賃をしっかり払ってくれ」と言われました(笑)。

「そういうのがあると困るんだ」「日本人のお前は大丈夫か?」という話をされたのは覚えていますね(笑)。