クロアチアのレジェンドとマッチアップ

――キャリアの絶頂での引退は、すごく難しい決断だと思います。

僕は1部でもプレーしていないし、代表でもプレーしていない。選手としては「敗北を認めた」という感じですね。

実はクロアチアの1部のチームのテストを2回受けているんですよ。1つは(HNK)シベニクというクラブで、もう1つはNKフルヴァツキ・ドラゴヴォリャツというクラブです。

両方とも1、2週間練習参加している間に、自分のプレーを見せました。特にドラゴヴォリャツは、(元クロアチア代表MF)ロベルト・プロシネツキがいました。当時はボバン、シュケル、ボクシッチが有名でしたけど、クロアチア人からしたらプロシネツキが一番なんです。

プロシネツキがスペインでプレーして、晩年のキャリアをクロアチアに戻って、ドラゴヴォリャツにいたんですよ。僕は2週間ほど、プロシネツキとマッチアップしました。

当時は世界選抜があって、(プロシネツキは)世界選抜に選ばれる人。僕は彼とマッチアップで守備してボールを奪おうとしても、1回もボールに触れられなかった。それぐらい体もデカいし、足も長いし、テクニックもありましたし、その上周りも見えていました。

――プロシネツキとプレーしたエピソードは驚きですね。入団テストはどうでしたか。

紅白戦や練習試合をしたときに、僕はほぼ毎試合ゴールを入れたんですよ。それでも契約できなかった。そのとき当時の監督から「お前のレベルはクロアチア人と同等だ」と言われたんですよ。

でも実際に点も取れたし、「同等」というのは悪い話じゃないですけど、「助っ人外国人」としては契約するほどのレベルじゃなかったんです。なので、結局最後は2部で(キャリアを)終えました。

もしそこで自分がプロシネツキと一緒にプレーできるところまで行けたら、もしかしたら当時の日本代表に入れたかもしれないですね。プロシネツキと一緒にプレーしていたらね(笑)。でもそこまでは行けなかったです。