人口全体の半分が貧困層という中南米でも最貧国の一つであるニカラグア。レオン・ビエホ遺跡群が同国では唯一世界遺産に登録されているものの、取り分け見所のない国としてバックパッカーでさえ素通りするというこの国の名前自体、日本ではあまり聞く機会がありませんね。
細かい歴史などはWikipediaにお任せしますが、1936年に始まった独裁政権と1979年のサンディニスタ革命、それに伴う内戦が1989年まで続いたことでスポーツの自由な活動が損なわれたのは想像に難しくありません。
そんな状況下でも長い独裁政権が米国寄りだったことで野球の人気が高く、「ニカラグアの貴公子」と言われ、首都マナグアの現職市長ながら2009年7月1日に自殺した国民的英雄アレクシス・アルグエージョを輩出したボクシングも有名です。
中米ではベリーズと並んで最弱であるサッカーの人気は高くない、というのが一般的ですが、現地ブログの情報などでは街中でボールを蹴っている少年は少なくないそうです。実際、試合の映像を見てもスタジアムは小さく、芝はあまり整備されていませんが、試合の盛り上がりや客入りは悪くないようですね。
国内リーグはこれまで10チームで開催されてきましたが、2009-2010シーズンは8チームで行われています。他の中南米諸国と同様に日本で言う秋・春にそれぞれ前期と後期を行い、優勝したチーム同士が対決して年間王者を決定するシステムで、近年はレアル・エステリが強く、最多優勝回数を誇る古豪ディリアンヘンやワルテル・フェレッティ辺りが続きます。レアル・マドリス(Real Madriz)という名前のチームがあるのも中南米ならですね。
代表チームは時折、近隣のエルサルバドルなどでプレーする選手もいますが、ほとんどが国内でプレーする選手で構成されています。W杯予選は国内情勢のために1990年までエントリーがなく、初参加は1994年で、当然大きな大会での実績はありません。2010年のW杯予選もネリッセを筆頭にオランダ出身者を招き入れたオランダ領アンティル代表に2試合とも敗れて1stラウンドで早々に敗退してしまいました。
しかしその後、レアル・エステリを率いて国内リーグ連覇を達成した元ニカラグア代表DFオリバス監督が兼任で代表監督に就任すると、レアル・エステリの中軸メンバーをほぼそのまま据えた代表は中米7カ国中、5位までにゴールドカップの出場権が与えられる2009年初頭のUNCAFカップで初めてグアテマラを下して5位となり、同年のゴールドカップの初出場を決めました。ある選手が「ニカラグアにとってゴールドカップの出場はW杯出場と同等のもの」というほどの歴史的な快挙だったのです。
本大会は残念ながら無得点で全敗に終わりましたが、ニカラグアサッカー界は新たな時代へ向けて確かな第一歩を踏み出しました。代表チームのエースは黒人のサムエル・ウィルソン選手ですが、基本的にはメスティーソ(白人と先住民の混血)がほとんどで中米らしく足元の技術は決して低くありません。今後の更なる飛躍を期待しましょう。