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12月12日、UAEサッカー協会会長のモハメド・ハルファン・アル・ルマイティが辞任を発表した。表向きには「個人的な理由」としているが、UAE代表チームの不振の責任をとるという意味が全くないなどとは誰も考えないだろう。

2008年1月から協会会長を務めたアル・ルマイティの評価について、ザ・ナショナル紙のポール・オベルベルジュ記者がコラムを寄せている。内容に賛否はあるだろうが、これをそのまま紹介したい。

「アル・ルマイティが会長を務めた四年間。2009年のAFC U-19選手権の優勝、広州アジア大会の銀メダル。そして2009年、2010年とクラブワールドカップ。これらの成功を楽しんだ。

しかしその後、アル・ルマイティ率いる協会は最も重要なところで失敗した。A代表は多くの期待に応えられず三次予選で既に敗退。五輪代表も既にロンドンへの道を断たれる寸前にある。

アル・ルマイティの辞任は、新鮮なアプローチの必要性を感じさせる。また協会は、地域的な、そして国際的な舞台への復帰のために新しいビジョンを採用する時点に来ている。

アル・ルマイティは洗練された落ち着いた男であり、異彩を放っていた。2001年から2005年までアル・アインの執行委員会を務め、三つのリーグタイトルをクラブにもたらした。その後サッカー協会の副会長を務め、2008年にユースフ・アル・セルカルの辞任によって会長に昇格した。

当時の代表監督ブルーノ・メツを残し、2010年ワールドカップ予選に敗退したものの、これに関してはアル・ルマイティが就任してから数ヶ月しか時間がなかった。

しかし2014年ワールドカップ出場への挑戦は、丸ごとアル・ルマイティの仕事であった。彼はスロベニア人指揮官スレチュコ・カタネッツを代表監督に据えた。

この動きはいくつかの意味を持っていた。カタネッツは2002年、UAEよりも人口が少ないスロベニアを日韓ワールドカップ出場に導いた。選手としても1990年ワールドカップでプレーした経験がある。

二人の男はお互いに信頼していた。しかし、カタネッツと選手の間の不和が深くなった時にも、彼は保持された。協会の著名なメンバーは、選手の不満を聞き、そして2011年アジアカップで無残な敗退を喫した後にカタネッツの解任をアル・ルマイティに陳情した。しかし提案は却下された。

アル・ルマイティの誠実さは報われなかった。ワールドカップ予選では、ホームでの開幕戦でクウェートに3-2と敗れたあと、レバノンに3-1と衝撃的な敗北を喫した。アル・ルマイティはその数時間後にカタネッツの解任を決定した。しかし、それは既にカタネッツへの信頼が崩壊した後のことであった。

一方の五輪代表。アル・ルマイティが『黄金世代』と称したチームだ。しかし予選ではグループの最下位に沈み、先月の二つのホームゲームで勝ち点1しか獲得できなかった。

歴史の潮流は、UAEから既に離れてしまっているのかもしれない。日本や韓国に加え、ウズベキスタンが力を付けている。AFCにはオーストラリアが加わった。イランやサウジアラビアに加え、それらの人口が多い国が注目を集めている。UAEが成功することは簡単ではなくなっている。

協会には、時代に振り落とされないために、想像力と強力なリーダーシップが必要だ。アル・ルマイティはビジョンを持っていたが、実現させることは出来なかった。

次の勇敢な魂が、チャンスを得るだろう」

(筆:Qoly編集部 K)

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