そんな彼女の人生を大きく変えた出来事が、翌2007年にあった。
当時J2のセレッソ大阪に所属していたFW古橋達弥がJ1クラブへ移籍するのではないかと報道されたのだ。古橋はこのシーズン、47試合試合に出場し18得点をあげるなど、セレッソ大阪の得点源として活躍した。チームは5位でシーズンを終えJ1昇格はならなかったが、古橋の残留を全てのサポーターが祈っていた。
「当時サポーターの間では署名活動をおこなったり、『古橋残留』と印刷されたTシャツを着用するといった動きがありました。その中で私は、ビデオレターを送るという案を思いついたんです。
当時私は高校で放送部に所属していて、ほんの少しですが動画制作のスキルがありました。言葉だけでなく、声や表情が伝わる映像なら、きっと私たちサポーターの想いが届くと思ったんです。古橋選手は私がセレッソ大阪を好きになった頃に加入した選手なので思い入れも強かったですし、サポーターの中には『伝えたいことがあるけれど伝え方が分からない』という人もいたので、そういう人たちも巻き込みたいと思いビデオレターの制作に取り組みました」
辻村さんはスタジアムでサポーターのメッセージを撮影した。そしてその映像を一つのDVDにまとめ、練習場で直接手渡し、古橋もそれを快く受け取った。
結果的に古橋はセレッソ大阪に残留した。後日、クラブの会報誌の中で「あのビデオレターが印象的だった」と語っており、その事実に辻村さんは深い喜びを感じた。映像というツールの力に自分自身が感動し、そのことが映像の仕事を志すきっかけになったという。
その後、芸術系の大学へ進学し映像制作を専攻した辻村さん。そんな彼女に名誉職が待っていた。
2009年度、セレッソ大阪のホームゲームで、長居スタジアムのオーロラビジョンに映し出される映像のカメラマンを務めたのだ。元々、スタジアムの映像演出に関して意見したいことがあった辻村さんは、セレッソ大阪の事業部との意見交換会の際にクラブの重役に自ら切り出し、その行動がきっかけでこの大きな任務を任せられた。
スタジアムという空間は、言うまでもなく一体感が求められる。いかにそういった空気感を作るかについては、各クラブのスタジアムDJおよびコールリーダーが頭を悩ませているところである。辻村さんはそんなスタジアム演出の一端を、19歳という若さで担うことになったのだ。
「実は大学1年生の頃、私は学校の文集に『将来はサッカースタジアムの映像演出に関わる仕事につきたい』と書いていたんです。プロのカメラマンでもなかなかチャンスの与えられないことがわずか一年で叶い、本当に誇らしい気持ちでいっぱいでした。スタジアムでカメラマンを担当した一年間は、私のサッカー人生にとって忘れることのできない貴重な時間でしたね。」
辻村さんが構えていたビデオカメラは、ゴールネットの真裏にあった。それゆえ、試合中はセレッソ大阪の守護神キム・ジンヒョンに最も近い場所で映像の撮影を行っていた。ゴール裏での「応援」とは一線を画す経験の中で、彼女はこう思ったそうだ。
「これまで私はサポーターとして、ゴール裏で必死に声を出し、飛び跳ね、フラッグを掲げ、チームを応援してきました。しかしそのサポートスタイルは、チームを支えるためのほんの一つの手段に過ぎないんです。
スタジアムでカメラマンを始めるまでは、試合中スタンドでいかに熱く応援し、選手やチームの支えになるかということに固執していた自分がいました。でも、もっと広い視野で"サッカー"を見て、私なりのスタイルでセレッソ大阪や日本サッカー界を支えたい、恩返しをしたいという強い思いが湧いてきました。」
2010年以降、辻村さんがゴール裏に足を運ぶ機会は減っていった。将来を見据えまずは自分にできることを増やそうと、サッカーからは距離を置き、映像制作やWebメディアの運営に打ち込んできた。
自分を変えてくれたセレッソ大阪やサッカーに、いつか恩返しがしたい―。彼女は常々こう話している。実際、今回の美学生図鑑×Qolyのユニフォーム美女の企画も、彼女の根底にあるこういった想いが無ければ実現することはなかった。
奇しくも今年、そんな辻村さんの元にセレッソ大阪に関する書籍の撮影依頼が届いたそうだ。『フットボールサミット第24回 美しく危険な男フォルラン』という特集である。彼女は今、少しずつ自身とサッカーとの関係性を築き上げている。近い将来、何らかの形で日本サッカー界に貢献することになるであろうこの女性の名を、今から覚えておいても損はないだろう。
※最後になりましたが、今回の企画を全面的にサポートしていただきました 『美学生図鑑』スタッフ皆さん、また撮影のためにモデルを務めてくださった皆さん、ご協力本当にありがとうございました!