9月19日、『Four Four Two』はサウス・メルボルンFCに練習参加している元バーレーン代表DFハキーム・アル・アライビのロングインタビューを掲載した。

ハキーム・アル・アライビは1993年生まれの21歳。アンダーの選抜チームで活躍し、2013年末に行われたアジアカップ予選の3試合でベンチ入りを果たし、西アジアカップにも呼ばれていた期待のディフェンダーであった。

しかし、彼はその後サッカー界から忽然と姿を消した。兄のイマッドが政治活動家であることから、これまで2度も政府当局から拘束され、拷問を受けていたのだという。西アジアカップから国に戻り裁判を受けることを拒否した彼は、イラン、イラク、マレーシアなどを流れることになり、そして今回ようやくオーストラリアへの難民申請が認められた。

我々には容易に想像できないような苦しみを経験したであろう彼がインタビューの最後に述べた言葉、それが非常に印象的である。


ハキーム・アル・アライビ 元バーレーン代表DF

「バーレーンでは、警察が家を攻撃してくることを恐れていた。彼らにそれが可能なことを誰もが知っていた。練習しているとき、プレーしているときでさえ、攻撃され警察署に連れて行かれるのではないかと心配していた。

(16歳の時に初めて逮捕された)

僕はハル・ハミース警察所の捜査室に連れていかれ、とても苦しめられた。5か月間も拘留された。何故そうなったかといえば、警察は兄のイマッドを逮捕するために家に来たからだ。クウェートでサッカーをして、帰ってきたその日の夜だった。

僕は眠ることを恐れていた――警察が私を知らないところに運ぶかもしれないからね。彼らは僕を殴り、気を失えば冷たい水をかけて起こし、そして殴り続けた。

一度警察署で良くない殴られ方をして、特に耳に大きな傷を負い、それを治療するために病院に移された。そこれは鎮痛剤や薬物治療を処方されたが、警察はそれを提供しないよう病院に命じたんだ。

(5か月後の2011年2月に保釈され、サッカーに戻った)

僕は11歳でアル・シャバブに入団してサッカーを始めた。練習し、プレーし、そして16歳になった時にU-17の代表チームに選出されたんだ。18歳でキャプテンになり、A代表にも選ばれた。

19歳の誕生日、練習が終わった後に友達と一緒にいたところで、警察の検問で逮捕された。僕の手は拘束され、目は何らかのもので覆われた。

彼らは僕に冷水を浴びせ、叩き、性的暴力をすると脅した。さらにシーア派(ハキームの宗派。バーレーンでは多数派であるが、支配階級を占めているのはスンニ派である)を侮辱した。そして足を叩き続けた。

僕の足が腫れて膨らみ始めれば、彼らは血液が流れるようにそれを上に上げ、そして再び叩き続けた。

体の上には4人が座り、僕を暴行しながら侮辱していた。そして、僕が言わなければならないことを聞くのを拒絶した。

時々、僕は意識を失っていた。


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