(原因は兄のイマッドが警察を襲撃したと疑われたからであったが、ハキーム自身はその日テレビでも放映されていた試合に出場していた)

もちろん関与していない。『サッカーの試合をテレビで見れば、それを確認できる』と僕が言えば、彼らはますます激しく叩いてきた。

僕はサッカー選手だ。何も関与していない。彼らは『お前の将来を破壊してやる』と言ったよ。

(3か月間拘留され、むち打ちを受けた)

僕はシーア派の政治犯で満たされたドライ・ドック刑務所に入れられた。この間、夜も眠ることは出来なかったよ。特殊機動隊が常に刑務所にきて、我々に暴力を振るうからだよ。

(バーレーンサッカー連盟が公式の証拠を提出し、100ディナールの保釈金を支払い保釈された)

僕の無罪は、合理的に言えば疑う余地がない。しかし、彼らによればそれを証明するための十分な証拠がないとのことで、罪は取り消されなかった。

このような状況ではあったが、僕はガルフU-23トーナメントの準備をするため、トルコや他の国で行われるキャンプに行った。

サウジアラビアを破り、我々は優勝した。2日後に宮殿に呼ばれ、王に表彰された。彼らは各選手からの要望をまとめ、実行されるだろうと約束したが、それはされることはなかった。

(2013年12月、西アジアカップに出場した)

ナショナルチームに参加することが認められた。僕がカタールにいる1月5日に最終法廷が行われるので、僕の容疑は取り消されたのだなと思った。

だけど、僕はその日ホテルを離れることを認められなかった。チームはヒアリングのためにバーレーンに戻ることを命じた。彼らはドーハの空港に僕を送った。

しかし、僕はあまりに恐ろしかったので、バーレーンに戻ることは出来なかったんだ。空港を離れ、カタールで暮らしている友人に会いに行った。

そのあと、書面によって事実を知った。僕は欠席裁判で10年の懲役という有罪判決を受けていた。

これは、僕にイラン(シーア派が主流の国)への脱出を決断させた。

(その後カタール、イラン、イラク、マレーシアを渡り歩いた)

それらの国々を行ったり来たりしなければならなかった。ビザが特定の期間だけしか取れなかったからだ。僕はマレーシアのチームでプレーしようと思ったが、シーア派の分派にはその権利が許されていなかった。マレーシアの当局や人々は、シーア派に反対しているんだ。

また、マレーシアの政府が僕をバーレーンに送るのではないかと心配もしたしね。

(資金も尽きたなか、オーストラリアに住む友人に誘われた)

彼も、僕と同じように10年の懲役刑を言い渡されているんだ。

僕の家族は、刑が言い渡された3週間後に警察が家に来たと伝えてきた。僕がターゲットにされた理由は、自分が有名なシーア派のフットボーラーだったからだろう。

シーア派のスポーツ選手が逮捕された例は、僕一人だけのことじゃないからね。

(難民として認められ、サウス・メルボルンに練習参加した)

僕はただ、サッカーがしたいんだよ」