裁判で、タンディは言った「フットボーラーとしてのキャリアは2004年にバートンに攻撃されたときに死んだ」と。後にタンディは精神的な苦痛を浴びたとしてバートンに対して65000ポンド(約1200万円)の損害賠償を訴えている。
逮捕されたタンディ、同じく『Sun』紙による
裁判官であるフランシス・デイヴィスは彼に対してこう言った
「貴方がサッカー選手としてのキャリアが破壊されたことで(あなたを)襲った不幸を理解しています。しかし、貴方が彼女にしたことは許しがたいだけでなく、利己的で臆病者です。」
「貴方は成長する必要があります。他の人のことを考える事を始めなくてはなりません。貴方の人生の一部がなくなっています。貴方の(妻との間にできた)子供がいることを忘れてはなりません。」
タンディは1000ポンド(約19万)の罰金を妻に支払い、2年2か月の(アルコール中毒の)リハビリと12か月の執行猶予の判決となった。
その頃、タンディは窓を拭く仕事で生計を立てていた。
イングランドのメディアはこうも伝えている。
バートンはサッカー選手のほとんどを"ドアノブ(イングランドのスラングで男性器のこと)"だという。そんな彼だが、彼女の鼻を折ったことはない。
ーちなみに、この話には続きがある。
執行猶予中のタンディはオーストラリアへと移住して足場を組む職人をしながらオーストラリアの下部リーグでサッカーを再開したのだ。当然、執行猶予中に国外移住はできない。再び逮捕されたタンディは遂に2か月間の獄中生活を送った。それでも、出所後再びサッカー選手として下部リーグでプレーしたというのだから、このタンディやっぱりただならぬ才能の持ち主だったのかもしれない。