1月27日に行われたアジアカップ準決勝。地元開催のオーストラリアはUAEと対戦し、2-0と勝利を収めた。

その2点目を決めたのが、日本の成立学園高校に留学していたこと、祖母が日本人であることで有名なDFジェイソン・デイヴィッドソン。これが代表初ゴールであった彼は、得点後に高くハートの印を掲げて走った。

デイヴィッドソンは、このパフォーマンスは不運にも手術の数日後で試合に来ることが出来なかった母のエフィーに捧げるものだったと『Herald Sun』の取材に対して明かしている。

ジェイソン・デイヴィッドソン

「なぜハートを掲げて走ったかといえば、母に、父に、そしてパートナーのナターシャのため。だけど、僕は特に母のために走った。

彼女はこの試合の前に手術を受けていたんだ。彼女はここに来るつもりはなかった。完全な体調ではなかったので、家にいたはずだよ。あの時は、僕の全ての感情が3人に向いていた。

(14歳で日本に留学した時のこと)

母はそれに反対した。僕は14歳で、彼女は子供を違う国に送り出したくはなかったんだ。しかし僕は日本に行って、3年間頑張り通した。これは、若い僕を成長させてくれたし、規律、努力、そしてその経験が、僕を今の自分にしてくれたんだ。

(UAE戦での代表初ゴールは?)

夢が叶った。この感情は言葉では言い表せないね。僕はマス(マッシモ・ルオンゴの愛称)が頭を上げるのを見た。そして彼はつま先でボールを突いた。僕は冷静だったし、落ち着いていた。何をすべきかはわかっていた。

僕はクラブレベルでも同じポジションだし、それほど得点は決めていない。代表チームのためにそれが出来て、本当に幸せだ。

僕の仕事はいつも第一に守備だ。しかし、父はいつも言うんだ。僕が出来るのはチームを前に進めていくことであり、アシストであろうがゴールであろうが、それはボーナスなんだと」

アラン・デイヴィッドソン ジェイソンの父で元オーストラリア代表DF

「ジェイソンは常にプロサッカー選手になりたいという熱意を持っていた。しかし、私は彼を日本に連れていくまで、彼がどれだけの気持ちを抱えていたかということを理解していなかったよ。

彼は日本の文化とサッカーには恋に落ちたけれども、彼は日本語を話せなかったし、仲間は英語を話せなかった。彼にとっては容易ではなかったよ。

彼はメルボルン・グラマー・スクール(メルボルンの名門学校)に行くつもりだった。そして、教育は我々にとって重要なものだった。新しい文化を知り、そして私の母が日本人であることを理解する大きな機会だった。規律や努力と同じようにね。

彼は自分で行くことを決めたんだ。私は何も強制したことはない。彼の責任であり、彼自身が決断した」