2人のプレースタイルを形作ったもの

1つ目の共通点。それは、サンチェスと坂本の両者のスタイルの根幹として、ストリートサッカーがある点だ。『ファンタジスタ』の主人公、坂本は九州の離島の出身という設定で、幼なじみの森川*と姉の琴音*と防波堤の上でボールを蹴っていたのが彼のスタイルの基礎になっている。

森川竜二:てっぺいの幼なじみ。両足から繰り出す精度の高いスルーパスなどが武器。*坂本琴音:肺の病気のため、プロ選手を諦めるも、指導者として活躍。てっぺいにサッカーを教えた張本人。

一方で、1988年にチリ北部にあるトコピジャという小さな港町で生を受けたアレクシス・ サンチェス。

そんな彼を待ち受けたのは貧困だった。兄、ハンベルトは「貧乏中の貧乏だった」と、当時の生活を表現した。父はアレクシスがやっと歩き出した月齢の頃、家を出て行った。残された母親、マルティーナさんと、さらに2人の姉妹を含めた4人の子供たちはみな、幼い頃から日々を生きるために働かなくてはならなかった。

サンチェスも、6歳から家計を助けるため働き始めた。道行く人に宙返りを披露し、小銭を稼ぐこともあった。墓地に止めてある車を誰も盗まないようにと見張りながら、それらを洗車して給料を得たこともあった。そんな彼の唯一の楽しみは、仲間たちと素足のままプレーするストリートサッカーだった。

当時を振り返って、アレクシスは「道路の石ころを避ける為に、小さく飛び跳ねながら走るのが、おれのプレースタイルの元になってる」と自身のルーツを描写する。屋根に登ったボールを誰よりも早く回収していたことなどから、スペイン語で「リス」を意味する'Ardilla'から取った'Dilla'とのあだ名もあったそうだ。細かなステップ、切れ味のあるドリブル。相手DF陣の間を駆け巡る彼にとって、名のある長身DFですら路傍の石のように見えているのかもしれない。

それはまた、防波堤という狭いスペースでのストリートサッカーでイマジネーションやドリブルテクニックを磨いた坂本徹平と不思議なほど似ている。

アレクシス「右ウイング?」

2つ目は、戦術やポジションに無頓着だった事だ。

『ファンタジスタ』第1巻にて、いきなり公式戦にデビューした坂本。11対11の試合は、彼にとって初めてのものだった。彼はボールを貰えばドリブルで駆け上がり、ピンチとなればPA内に現れるという体育のサッカーのようなプレーで味方をも困惑させていた。

アレクシスもまた、6歳のときに入団した初めてのクラブチームで監督の悩みの種となる。なんと、監督に「右ウイングでプレーしろ」と言われた際、「右ウイング?それどこだよ?」と聞き返したことがあったそうだ。

地元クラブ、アラウーコで当時アレクシスの入団を熱望し、指揮したトルド氏は彼について「練習に姿を現さずに、道路でボール蹴っていたんです。でも、試合に出れば違いを見せていました」と苦労を滲ませた。それでもアレクシスの才能に最初に気付き、惚れ込んでいたのもまた、彼だ。

「FourFourTwo」の取材(2015)に対し、印象的な試合の思い出を語ってくれている。

「荒れたピッチでの、ある日の試合のことを今でも覚えています。自陣のペナルティエリア内でボールを拾うと、そのままドリブルして相手チームを全員抜き去っちゃいましてね、あっという間に相手のエリア内まで到達しちゃったんです。すると相手キーパーから容赦ないタックルを受けまして。それでも痛みで体を屈めること無く立ち上がると、長い距離を走ったあとで息切れしちゃって一言も発せない中、PKを蹴らせろと言わんばかりにベンチを見つめてきましてね。これが本物のアレクシス・サンチェスってやつですよ。」

磨かれたその自由さは、時に武器になり、時にチームにとっての枷となる。それでも、彼らは幼少時に「自由」を与えられることにより大きく羽ばたいた。「戦術的技術は後からでも教えられる」という指導者も存在するように、彼らの存在は育成に関する議論にも一石を投げ入れるのかもしれない。

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