グアムとアメリカ領サモアの次は!

では、その大まかな内容を紹介します。ただし、私の翻訳能力はあまり高くないので(苦笑)、正しくは英語の原文も参照して下さいね。

"Let Micronesia into FIFA"
By Paul Watson and Matthew Conrad, London, USA


「ミクロネシアをFIFAへ

パプアニューギニアでのパシフィック・ゲームス(南太平洋大会)で、ミクロネシア連邦はフィジーとバヌアツに対して38-0と46-0という世界記録の大差で敗れました。

ミクロネシア代表はどこでも戦えるというのは、献身的で無給のサッカー愛好者達が5年にわたり努力した結果ですが、この成績は地域での開発資金が極端に足りない事を示しています。

訓練を受けたコーチもほぼ無く、用具は欠乏し、地球上で最も湿った地域の一つの国なのに屋内施設は一つもありません。

2万ドルに満たない額で、ミクロネシアはチューク・ヤップ・ポンペイの数百人のために準レギュラーの関心者からレギュラー参加者までの活動をしてきました。もし適切な開発支援があったらと、想像してみて下さい。

ミクロネシアはAFCとOFCに入会を認めるように4年間活動していますが、成功していません。国際試合での結果不足がその理由の一部であると、常に示唆されています。

パシフィック・ゲームスは、自分達では試合にならないと気付かせたとしても、ミクロネシアに対してプレーをする事へ前向きにさせました。試合に前向きですし、未来の世代も今まではなかった楽しむ可能性を作り出すかもしれません。

ミクロネシアは世界に6つしかない、主権国家なのにFIFA傘下の大陸連盟に未加入の国の一つです(モナコ、バチカン市国、イギリス(連合王国)を除いて)。開発資金の獲得ができないという事は、肥満レベルが高くて若者がスポーツする機会に欠くこの地域でサッカーというゲームの持つ広大な可能性を制限するのです。

これはミクロネシアサッカーの分岐点です。人々は諦め、メディアからのあざけりに屈することもできますが、自分を励ましてより強くなる事もできるのです。

これはFIFAにとって、自分達がどれほど良い行いをできるかを示すデモンストレーションのチャンスです。FIFAはグアムで、アメリカ領サモアで活動しました。今、それはミクロネシアの番です」

改めて、「change.org」に添えられていたミクロネシア連邦代表チームの集合写真。

これは当事者のフォスター監督も求めています。彼は大会主催者が4年後(2019年、トンガのヌクアロファで開催)にも参加を歓迎した事に安堵しながら、FIFAにミクロネシアでの現地視察と技術支援を求めていました。

3試合114失点のミクロネシア、指揮官はFIFAに支援求める(AFPニュース)
http://www.afpbb.com/articles/-/3053929

最後に挙げられていた「アメリカ領サモア」が0-31で大敗したのは2001年でした。それからこのチームがどうなったかは……去年、日本でもドキュメント映画が公開されていました。その一員である、身体は男性でも心は女性という「第三の性」のジャイヤ・サエルア選手が来日し、イベントに参加していたのをご記憶の方もいるでしょう。Qolyでもインタビュー記事が掲載されていました。

世界初!W杯予選に出場したニューハーフ、ジャイヤ・サエルアを直撃
https://qoly.jp/2015/02/17/american-samoa-jayiah-interview

Qolyのインタビューに答えるサエルア。
映画公式サイト:http://nextgoal.asmik-ace.co.jp/

【次ページ】やはり出てくる日本との関係