クラブ上層部との確執
夏の移籍市場、明らかにチェルシーは例年とは違っていた。ファルカオやラマン、ペドロといった選手を獲得したものの、大型補強は無し。移籍市場で暴れ回ったマンチェスターシティとは対照的に、静かな夏を過ごした。
ロンドンを希望していたラヒーム・スターリングの獲得には動く事が出来たし、ジエゴ・コスタの代わりとなれるFWの獲得にも動く事が出来たはずだが、上層部は沈黙を保った。DFのストーンズの獲得失敗も「らしくない」粗雑な動きで、代役を用意してもいなかった。最終日にマルキーニョス獲得に失敗し、慌てたように数合わせのようにDFを獲得した。
また、選手本人が望んでいたとはいえ、直接優勝を争うアーセナルにチェフを手放すことも、ジョゼ・モウリーニョとしては納得のいかない決断だったはずだ。クラブは功労者の働きに報いるために動いたが、指揮官はそれによって1人の重要な相棒を失った。
さらに、チェルシーの補強部が若手の獲得や育成に力を入れたことも、ジョゼ・モウリーニョと上層部の乖離を生み出した。ガーディアン紙には、移籍などに関わる上層部が会長寄りになっていることも指摘されている。これは、ある意味ではマンチェスター・シティへの対抗意識もあったのかもしれない。
突如急速に成長したマンチェスターの雄は、以前のチェルシーと同様に資金力を活かした大型投資を繰り返しつつ、気付けばユースも強化。チェルシーと同等以上の安定したプランを作り上げた。
これを受け、チェルシー側は完全にマンチェスター・シティと争うのではなく、有望な若手を買ってローンで育てながら主力に組み込む案を中心にしたがっていた。しかし、ジョゼ・モウリーニョはロメル・ルカクやケヴィン・デ・ブライネに多くのチャンスを与えず、若手を多く抜擢することもなかった。そこで、クラブと指揮官の間に大きな溝が生まれたのだ。若手やレンタル帰り組を起用して欲しいクラブは、大型補強を嫌っていたようだった。
1つ、興味深い報道がある。イタリア紙カルチョ・メルカートは、元ウクライナ代表アンドリー・シェフチェンコがジョゼ・モウリーニョを引きずり下ろしたと述べた。彼は会長であるアブラモヴィッチや、現在所属する選手達と仲が良く、チームの空気が悪い状況を会長に逐一伝えていたというのだ。これが本当だとすれば、ジョゼ・モウリーニョが快く思うはずはない。
補強方針のズレ、目指すチームのズレ、そして単純な会長との確執。様々な要因が、ジョゼ・モウリーニョの仕事を難しいものにしていた。ファンには感謝を述べつつもフロントに対する言及がなかった辺りに、彼の怒りを見ることが出来る。