ヴィトール・サバ
「(オーストラリアに到着したときについて)
彼から示された信頼や愛の全てが、シドニーに着いてからたった1日で消えるなんて思わなかったよ。
僕は朝5時45分に到着したんだ。彼らは僕を車に乗せて、直接トレーニングセンターに送った。長い旅の後、そのままトレーニングへ行ったんだ。
彼はオフィスに招くと言った。『ここでは誰も特別扱いしない』と。
『選手は厳しい時間を過ごす必要がある。そうしたときだけ勝てる。我々の仕事はとてもハードだ。だから君は長い旅の後も直接トレーニングに来た』と。
彼の語調はとても激しかったよ」
「ポポヴィッチ監督は僕のプレースタイルを変えようとしたんだ。彼は言った。
『君がブラジルで、そしてイタリアでやってきたように、ボールを得るために走り回るようなことは望んでいない。
君は中央に留まって、ボールが来るのを待っていて欲しい。ドリブルは減らせ。ボールをツータッチで叩け』
しかし、それは僕ではない。自分はプレイメイカーであり、自由であることに慣れているんだ。
ワンダラーズでは、僕は常にベンチに置かれた。彼は良く僕を呼んで『君は共に働いた中でも最高の才能を持っている』と言っていた。
小野伸二より優秀であったというのに、僕は彼が求める形でプレーしなければならなかった」
「(関係者は『サバの練習でのレベルや発揮している能力が40~60%だった』と話しているが)
僕は挑戦していたよ。本当にやっていた。
選手はいつも僕のところに来て言ったよ。『サバがまだベンチにいてチャンスが与えられないのはなんでだろう』と。
ポポヴィッチ監督は僕の10番のポジションに、本職ではない選手を置いていた。マーク・ブリッジのようなね。彼はウインガーだ」
小野伸二がウェスタンシドニーを離れたのは6月で、サバの加入は間を置いた7月だったため、二人が同僚であったことはない。
つまりサバ自身は小野のプレーを知らないはずだが、インタビューで名前を出しているということは退団後も「小野伸二はウェスタンシドニー最高の選手」と言われていたということだろうか。