パブロ・オスバルド

アルゼンチン出身のストライカーながら、イタリア代表を選択した選手。現在はボカ・ジュニオルスでプレーしており、彼を知っている方も多いはずだ。

オスバルドはラヌース、バンフィエルド、ウラカンの下部組織を経て、2005年にプロデビュー。33試合に出場して11ゴールを奪い、イタリアのセリエBのアタランタに引き抜かれた。アタランタからレッチェにローンで出され、そこでの活躍がフィオレンティーナのスポーツディレクターを努めていたパンタレオ・コルヴィーノの目に留まった。

フィオレンティーナでは母国の英雄であり、クラブのレジェンドであるガブリエル・バティストゥータの背負っていた9番を選択。セリエAデビュー戦のリヴォルノ戦で2得点を決め、敵地のユヴェントス戦では後半ロスタイムに逆転ゴールを決める活躍を見せた。また、最終節のトリノ戦ではオーバーヘッドキックでゴールを奪い、フィオレンティーナのUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。

しかし、翌シーズンはアルベルト・ジラルディーノとステヴァン・ヨヴェティッチの加入で出番が減少。冬の移籍ウィンドウでのボローニャに移籍するも、エースFWマルコ・ディ・ヴァイオの壁を崩すことはできなかった。

転機となったのは、2009-10シーズン冬に移籍したエスパニョール。スペインの水が合いブレイクを果たすと、シーズン途中加入ながらレギュラーポジションを奪取。翌2010-11シーズンには13ゴールをの記録を残した。

2011-12シーズンにはルイス・エンリケ新監督率いるローマに加入し、満を持してのイタリア復帰を果たす。スケールアップしたプレーで、ローマでもハイパフォーマンスを見せ、2011年10月にはイタリア代表デビューまで果たす。順風満帆に思えた矢先の11月、ウディネーゼ戦後にチームメイトのエリック・ラメラを殴り、謹慎と罰金を科せられた。

翌シーズンはチームトップの16ゴールを奪う活躍を見せる。しかし、サンプドリア戦でPKを獲得した際、キッカーであるはずのフランチェスコ・トッティに譲らず。蹴ったものの失敗してしまい、試合後の空港でサポーターと揉み合う騒動を起こしている。その後、コッパ・イタリアでライバルのラツィオに敗れた後に指揮官のアウレリオ・アンドレアッツォーリをTwitterで侮辱。規律を重んじる代表監督のチェーザレ・プランデッリはオスバルドを追放した。

そんな問題児状態のオスバルドはローマ残留ではなく、プレミアリーグ移籍を選択する。2013年の夏、サウサンプトンは1460万ポンド(およそ22.9億円)というクラブレコードの移籍金を投じてオスバルドを獲得した。しかし、オスバルドは英国の水に全く馴染めず。リーグ戦13試合で3ゴールの出来に終わり、1月の移籍ウィンドウでユヴェントスへローン移籍。ここでも結果を残せず、買い取りオプションは行使されなかった。

その後はインテル、ボカ・ジュニオルスへのローン移籍を経験。昨年の夏にフリートランスファーでポルトに加入したが、12試合でわずかに1ゴール。ファーストチームでの出場機会が殆ど得られないことから今年の1月にポルトとの契約を解除し、ボカ・ジュニオルスに復帰している。

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