歴史と名前
もともと1919年に設立された時はCAメサンという名前で、1932年に全国リーグが始まった時にASメッシーヌと合併し、名称をFCメスへと変更した。創設はやや遅いものの、フランスの全国選手権の歴史という点においては、当初から大きな存在だったといえるクラブだ。
発音についてはメツではなく『メス』。愛称はエンジ色のカラーから『レ・グルナ』と呼ぶ。英語で言えばガーネットのことである。
メスは国境にあるクラブであるため、1940年にはストラスブールらとともにナチス・ドイツに併合されている。そのためメスは1941〜44年はドイツのリーグでプレーし、第二次世界大戦後にフランスへと戻ったという歴史もある。
1960年台には元モトクロスライダー、元サッカー選手の実業家であるカルロ・モリナリ(シャルルとも)が会長に就任。ライダーとして1954、55年に500ccのフランス王者になりながら、その練習の一貫としてメスに所属していたという珍しい選手であった。
彼は24歳という若さでモトクロスの世界を引退し、トラックのディーラーになっている。豊かなカリスマ性を持った彼はメスを欧州の舞台へ導き、現在のクラブの基盤を作った。
Carlo Molinari, où le syndrome "Je me transforme en framboise". pic.twitter.com/rf4yTeL7e2
— Kast & Deuch (@KastAndDeuch) 2016年5月13日
ロベール・ピレスなどを擁した1990年代中盤には再び上位に定着し、3度のUEFAカップに出場。1997-98シーズンにはクラブの歴史上初となる1部リーグ2位という結果を残したのだった。
ただ、多くの選手を放出し、35年所属した1部リーグからの降格を喫したあとは、財政的なダメージの大きさから苦しい時代が続く。2012年にはなんとクラブの歴史上初めての3部降格を喫してしまう。
しかしそこから1年で2部に復帰すると、2014年に1部昇格。その時は1シーズンで降格してしまうも、再びすぐにリーグ・アンへ戻ってきたのだ。