しかし、私はセルティックのサポーターだったからね。このクラブの規模を知っている。

私は期待を知っていた。このクラブのファンベースを知っていたんだ。

また、チャンピオンズリーグでプレーできるチャンスがあることもわかっていた。

そして、優勝する機会があることもわかっていたんだ。

なにより、セルティックは私のための場所であると思っていた。とても幸運なことだったね」

(2015年10月にリヴァプールを解任された。その後は?)

「10月にリヴァプールを離れることになった。シーズンの早い段階で、まだ8試合が終わったばかりだったね。

マージーサイドダービーが終わったあと、日曜日の夕方に電話がかかってきた。

オーナーは、変更を行う必要があると感じていた。私はその決定を受け入れた。もはやリヴァプールの監督ではなくなっていた。

月曜日にはもうほかのオファーが舞い込んでいた。

しかし、私は常に『シーズンの初めからやれるチームに行きたい』と感じていたんだ。

そして、まずは休息が必要だった。仕事から離れる時間がね。