監督ザーゴの評価は?

さて、ここまで選手としてのザーゴ氏を見てきたが監督としてはどのような評価なのだろうか。

2008年にコリンチャンスのテクニカル・ディレクターとして裏方をスタートさせたザーゴ氏は、ロナウドと共に夜遊びへ行き当のロナウドは練習に遅刻(それが理由ではないと本人は否定しているが)解任をされる。その後、2009年にサン・カエターノで監督業に初挑戦する。以降、パルメイラス、アウダクス、モジミリン、インテルナシオナウ、レッドブル・ブラジルなど国内クラブで指揮をとっている。

だが、ヴァスコ・ダ・ガマでは上述の人種差別問題から監督就任がご破算になってもいる。平均すると1チームあたり約半年の指揮となっており、決して長いとは言えない。

また、一度はアシスタント・コーチとしてローマ、シャフタール・ドネツクでコーチングを行った。これはヨーロッパの戦術を学ぶためだったとも見られている。実際、ヨーロッパではUEFAのコーチライセンスを取得し、よく旅行してサッカーを見ていたという。

ゼーマン直伝?の攻撃サッカー

特にズデニェク・ゼーマンとはローマ時代に選手として指導を受け、そしてローマでアシスタント・コーチとして学ぶなど影響を多く受けている。

ゼーマンと言えば攻撃サッカーだけに鹿島でも同じ方向性を指し示すのだろうか。実際にレッドブル時代に『Globo』から受けたインタビューでは、「より攻撃的になるような選手を望んでいた」「私たちは常に数的優位を目指して努力している」とパスをつないでいきポゼッションを高めるサッカーを追求していることを明かしており、守備的な選手でも強さだけでなく視野やビルドアップ能力を要求していた。