――レッズでのキャリアは1年だけになったんですけども、その後京都に移籍されました。

最初はレンタル移籍でした。移籍期限もギリギリになった頃でしたね。天皇杯で大木武さん率いる京都サンガFCが久保裕也や宮吉拓実を率いて決勝まで行ったのをスタジアムで見たんです。「このチーム、いいな」と思いました。

また、僕がヴィヴァイオ船橋にいたときに監督を務めていた髙木理己(現FC今治コーチ)さんがコーチとして京都サンガFCにいたんです。

高木さんに挨拶へ伺った時「一樹どうすんの?」と聞かれて、「ここでやらせてもらえないですか」と話しました。すると「そんなこと言うなら、話してみるよ」となって。さらに大木さんが「じゃあ、来るなら来い」と。

ほぼレッズに残るつもりでしたし、自ら出たいなんて思わなかったんですけどね。先輩たちに「J2で得点王争いして、そして2桁ゴール獲ってたら、大丈夫だよ。箔がついて帰ってこられるよ」と言ってもらって、本当にそうだなと。

でも京都での1年目は2桁ゴールまでは獲れなかった。そこは自分の実力のなさでしたし、レッズにも戻れませんでした。ただ、そのシーズンも昇格プレーオフ圏内に入れました。昇格させられればまたJ1に戻れると思っていましたね。

工藤浩平、安藤淳、中山博貴と、本当にいい選手に囲まれました。同世代だったので息も合いましたね。また大木さんの独特なサッカーで価値観を変えられましたし、あの2年で格段にうまくなりました。今のサンガと似ていますね。

――そこがリンクするんですね。

とても似ていると思います。若手が「上手くなりたい」と思ってプレーしていますよね。

曺さん(チョウキジェ氏:現京都監督)とは全然面識ないんですけど、勝手に「サッカー大好きおじさん」だと思ってるんです(笑)

大木さんはそういう方ですね。フランクで、「選手をうまくしてやりたい」と思っている人で、熱量がある。

2011~2013年に京都サンガFCを率いた大木武氏

皆がただうまくなりたいと思って毎日やっていたら、結果として勝っている。そこに素晴らしい監督と素晴らしいベテランがいて、チームを引っ張っている。今はピーター・ウタカがいますよね。僕の時は倉貫一毅さんのようなベテランが支えてくれました。

うまくさせたい、勝たせたい…がマッチしてるからこそのチームなんだなと。今は大木さんの時代が蘇ったようですね。

――僕も面識がありますが、大木さんが「おお、じゃあ来いよ!」って言うのは目に見えるようですね(笑)

日本代表で岡田さん(岡田武史)の側でコーチをしていたスーパーな人と思っていたんですけどね。本当にサッカー好きな人ですよ。

練習前に「おい、昨日のバルサ見たか?」と言うんですよ。「いや、その試合夜中じゃないですか、もう寝てますよ!結果言わないでくださいよ!」とかみんな言いながらミーティングに入って。

結局そこでバルセロナの話をして、終わったあとに「結果、言っちゃったな…」と(笑)。あとで楽しみにしてたのに大木さん言っちゃうんだもんな…という。

恩師は長谷川健太さん、田坂さん、布先生とたくさんいるんですが、価値観を変えられたのは大木武さんですね。