ミシェル・プラティニ
1980年代の世界最高のフットボーラーの一人。日本では“将軍”の異名で知られた。
ユヴェントス時代の1983~85年にセリエA得点王とバロンドールを3年連続で獲得。フランス代表では1984年の欧州選手権で優勝し、MVPと得点王をW受賞する偉業を成し遂げた。
引退後、指揮官としては結果を残せなかったが、2007年から2015年までUEFAの会長を務めるなど現役時代から含めて長く欧州サッカー界における“権威”であった。
そんな彼の両親はイタリアからの移民であり、彼の姓の発音はもともとイタリア風の「プラティーニ」だったそうだ。