ジーコ(ブラジル代表)

鹿島アントラーズでプレーし、2006年W杯では日本代表を監督として率いたレジェンド。

“白いペレ”とも呼ばれ、テクニック、得点力、戦術眼を兼ね備えた、ディエゴ・マラドーナと並ぶ1980年代最高の10番だ。

W杯には1978、1982、1986年と3度出場するも優勝には届かず。

特に1982年大会では「黄金のカルテット」の一角を形成し、優勝候補筆頭だったが、イタリアに敗れた。

後年、「あの大会の我々のプレーは誇らしかったが、W杯はミスが許されない大会。人々は我々のことをW杯で優勝できなかった最も偉大なチームと呼ぶが、それで構わない。世界王者になれなかったことのトラウマはない。サッカーはそういうもの。私よりもトラウマを感じる理由を抱える人たちはたくさんいる」と振り返っている。