「サッカーは僕の人生だ。ピッチに立つと、全てを忘れられる。

侵攻以来、気が動転しているけれど、それでも僕や家族は前に進み続けなければならない。

いまの僕がそこにいるよりも、ここから祖国や人々のためにもっと多くのことを手助けできる。

でも、約束する、僕は本当にあそこにいたい。いまだってね。先週、あそこに着いたとき、ただただそこにいたかったからね。

サッカーの後(引退後)は間違いなくウクライナで住むつもりさ」

「全てを話すことはできない。でも、少なくとも、この悪夢を止めるためには何かをしなければいけない。

サッカー選手、ロシアのサッカー選手について言えば、侵攻が始まって以降、彼らから何も聞こえてこない。

もし、我が国にそれが起きて、他国を侵略したら、僕は真っ先に叫ぶと約束する。(そうなったら)国には絶対に戻らない、絶対に。

彼ら全員が『やめろ』という情報を拡散したらどうなるか想像して欲しい。信じて欲しいけれど、状況は少し変わるはずだ、間違いなくね。

彼らが理解していないことがある。次の世代のことだ。彼らの子供たちや孫たちが金を支払うことになる。どうやって払うんだ?

金だけじゃない。彼らは評判で支払うことになるんだ。世界中のどこであろうと、ロシアのパスポートを見せれば、違う見方をされるようになる。

それを理解していない。いまやめるのではなく、信じ続けている。

僕はマンチェスター・シティに行く前はロシアでプレーした経験もある。

向こうにも友達の輪があった。本当に小さかったけれど、それでもあったんだ。いまその輪はゼロになった」

ジンチェンコはシャフタールのユース出身だが、プロになったのはロシアのウファというチーム。

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当時はロシアでも友人ができたというが、いまやその関係は崩壊したようだ。

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