大ケガの中でつかんだ獲得オファー

――偶然間瀬監督を知っていたエルサルバドル人の紹介でですか!?

そうですね。その人の紹介でエルサルバドル2部の(CD)サンルイス・タルパが僕と契約したいとなったんですよ。

――そんなことがあるのですね。

まだそのとき、レントゲンで見ると(骨折した)腓骨が治りかけで、グアテマラの医者から「もう動いていいぞ」と診断されました。

それからグアテマラからエルサルバドルの国境を渡って知人の家に移動したんですけど、最初はエルサルバドル側の知人の家に潜んでいた。

チームからは「早く合流してくれ」とずっと呼ばれていたんですけど、自分の足が完全じゃないので、トレーニングしながら治るまで時間稼ぎしていたんです。

でも、あるときに「お前、来週来なかったらチームと契約はできない」と言われました。

――でも腓骨は完治してなかったのでは。

そうですね。ある日エルサルバドルの小学6年生くらいの子どもと、100m競争をしたんですよ。

痛みをかばって走ったら、その子に負けてしまったんです(苦笑)。まだ腓骨が治っていなかったんですよ。

――そこからよく契約できましたね。

当時の自分はどちらかといえば、ゴリゴリの走るフォワードでした。フォワードとしてプレーしたかったけど、まだ全力で走れない。

合流した1週間ぐらいは、生粋のトップ下のゲームメーカーのふりをして、あんまりスプリントしなかったんです。

そこで認められて契約が決まりました(笑)。そんな知恵も使いながらやっていましたね(笑)。

――すごいクレバーですね(笑)。当時は4試合3得点とかなり活躍されていたようですね。リーグのレベルはどうでしたか。

メキシコやグアテマラと比べたら当時のサッカーのレベルは少し下だと思いますよ。もちろんメキシコはレベル高いですけどすね。