「自分で考える」原点

「自分で考える」「“無”になる」

川又は自身のサッカーに対する向き合い方やゴールを奪う極意について、一見すると相反する2つの考えを挙げる。普段のトレーニングから指導者任せではなく、「自分で考える」習慣があるからこそ、試合中は無心になって自分を解き放つことで集中力を高めている。

その原点は、多忙ながらも刺激的だった高校時代にあるのかもしれない。

愛媛県西条市出身の川又は、アニメ『キャプテン翼』を観てサッカーを始めた。ただ、中学、高校ともに全国大会常連の強豪校に進学したわけではない。それが逆に“型”に嵌らず、自分が主体的にトレーニングに励む環境となったのかもしれない。

2006年、川又は愛媛県立小松高校の2年生にして当時J2の愛媛FCの特別指定選手としてJリーグデビューを飾っている。

「1年生の冬に愛媛FCと徳島ヴォルティスから特別指定のお話をいただきました。徳島までは距離的に遠かったこともあって愛媛を選びましたけど、それでも練習場まで行くのに1時間はかかりました。練習が午前中にあるときは学校を休んで行ったり、午後からの時はマネージャーが車で迎えに来てくれて練習に通いました。高校の試合日程と被らないように配慮もしていただいて、参加できる時に行くというかたちをとっていました」

小松高校時代の超絶ゴール(提供:南海放送)

当時の愛媛には後にJ1で黄金時代を築くサンフレッチェ広島の主力となるDF森脇良太(愛媛)とMF高萩洋次郎(栃木SC)が期限付き移籍でプレーしており、現在J2昇格目前の愛媛で2度目の指揮を執る現役時代の石丸清隆、そして、サガン鳥栖で戦術家として注目を集める青年指揮官・川井健太ら、「考えてプレーできる選手」が揃っていた。

「当時から(高萩)洋次郎くんは本当に上手くて、森脇さんと同じく今も現役で長くプレーされています。今では監督としてJリーグで指揮を執られている石丸さんや川井さんもいて、凄いメンバーが揃っていたと思います。皆さん上手かったので、練習では付いていくのに必死でしたけど、刺激的な日々でした。

その愛媛に誘っていただいたのが当時の望月一仁監督で、よく小松高校の練習試合にも足を運んでいただきました。その望月さんが今は沼津にいて、再会することになりました。沼津には本当に強い縁を感じています」