苦しくも「自分を大きくしてくれた」川崎フロンターレの3年間

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ロシアW杯を控えた2018年は、新天地の川崎フロンターレでスタートを切った。

前十字靭帯断裂は一般的に「復帰までに大体8〜10か月かかる」そうだが、トレーニングを重ねた右膝は「奇跡的な回復」を見せ、齋藤は約半年後の2018年4月、古巣の対横浜F・マリノス戦で戦線復帰を果たした。

電撃移籍の影響が色濃く残る試合でも安定したパフォーマンスを見せたが、試合翌日に右足を捻挫。

前ももの肉離れによってコンディションを落としてしまった齋藤は、一連の望みを託した日本代表入りを逃し、4年前に立つことが出来なかった夢の舞台に踏み入れることは叶わず。

この年、川崎フロンターレはリーグ連覇を成し遂げたが、齋藤は怪我の影響もあり、リーグ戦を16試合1得点に終わった。

「もし、自分が持ち味とするドリブルが出来なかった時、自分の何が活かせるのかを必死に考える時間でした」

前年(2017年)にポゼッションサッカーと細かなパスワークを武器に初のリーグ優勝を勝ち取ったチームの中で、「“異質”な存在だった」という齋藤は自身のプレイスタイルについて思い悩むこともあったという。

「鬼木監督は『1人でドリブル突破できるのは学の持ち味だから、どんどん外に開いて仕掛けていい』と言ってくださいましたが、右サイドはエウシーニョとアキさん(家長昭博)。左サイドには(車屋)紳太郎やノボリ(登里享平)と阿部(浩之)くんが培ってきた攻撃のスタイルがあって、DF陣が攻撃参加するためのスペースを空けている場面が多くありました。これまでのようにドリブルで切り込んでも良いのか。もしくは他のプレイスタイルを見出さないといけないのか。試合中のポジショニングや動きについても考える場面が増えました」

2019年には右膝の内側側副靭帯損傷を損傷。2020年はガンバ大阪戦(11月25日)でチームのJ1最速優勝を決める得点を奪ったものの、在籍した3年間は負傷する前の活躍を見せるほどは出来なかった。

「フロンターレでは不動のレギュラーとして毎試合出場できたわけではありませんでしたが、思うようなパフォーマンスが上がらない中で、どうすればチームに貢献できるのかを必死に考える時間だったと思います。当時はかつてのようなプレーが出来ない自分に対して苛立ちを感じたり、いろいろなものが心に突き刺さってきましたが、今では、その時の経験が自分を大きくしてくれたのではないかと思えるんです」