昇格をかけた熱い戦いが終盤まで繰り広げられたJ3リーグは、24日に38試合の長丁場に及んだ2024年シーズンが終わった。
熾烈を極めた戦いが続いたリーグの中で存在感を示したのが、「ゴン」の愛称で親しまれる中山雅史監督が率いるアスルクラロ沼津だ。
豊富な運動量と巧みなパスワークで崩すサッカーで注目を集めた沼津に今季から加入し、ベテランとしてチームを支えた齋藤学選手に、これまでのキャリアや自身初のJ3で戦うこととなった2024年シーズンについて振り返ってもらった。
「今の自分を試してみたい」 沼津入りを後押しした言葉
©azul claro
日本代表にも選出された実績を持つ齋藤学は、韓国やオーストラリアでのプレーやJ2のベガルタ仙台でのプレーを経て、今季は中山雅史監督が率いるJ3のアスルクラロ沼津でプレーし、存在感を示している。
チームには先ほど今季限りで引退を表明した50歳の伊東輝悦や、川又堅碁ら実績豊富なベテラン選手が揃うが、齋藤はチーム入団時にかけられた言葉が、沼津加入の決め手になった。
「オファーをいただいた時に、チームの関係者から『チームの練習がキツいから、練習に参加してもらっても獲得の確約は出来ない』と話して下さって、僕は『面白そうだな』と思ったことが沼津を選んだ理由です。
もし、仮に自分が練習についていけなかったとしたら、おそらくどのチームに入ったとしても良いパフォーマンスを見せることが出来ないと思いますし、下手したらスパイクを脱ぐことも考えないといけない。まずは練習に参加してみて、『今の自分がどのくらい出来るのかを試してみたい』と気持ちが込み上げてきたんです」
50歳の伊東輝悦が若手選手に混ざって同じ練習をこなす「楽ができない」状況下でのプレーは、齋藤にとっても刺激になっているという。
「チーム全員でキツいことを乗り越えていく環境に身を置くことで、自分自身の向上心も高まっているように感じます。プロサッカー選手としてプレー出来ている有り難みを感じたり、若手が成長していくにはとても良い場所ではないかなと思います」
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そのように語る齋藤が回想するのは、自身のサッカーキャリアの転機になったプロ入り3年目、2011年シーズンの記憶だ。
横浜F・マリノスの下部組織で育った齋藤は、2008年に2種登録ながらも7試合に出場を果たすと、2009年にはトップチームに入団し、切れ味鋭いドリブルで活躍が期待されたものの出場機会は得られず。プロ入り3年目の2011年には出場機会を求めて、自身の意向で愛媛FCへとレンタル移籍を決断した。
「決まった練習場やクラブハウスもなく、洗濯も自分でやるような環境でしたが、真面目にサッカーに取り組んでいる選手はたくさんいて、J1で試合に出られずに燻っている選手たちよりもハングリーな印象を感じました。
あえて不自由なことも多かった環境に身を置かせてもらったことで、1人のサッカー選手としていろいろなことを学ばせてもらいましたし、その後のサッカー人生のターニングポイントになっていると思います」
この年の公式戦38試合に出場し、14得点を挙げた齋藤は、翌年にレンタル元の横浜F・マリノスに復帰を果たすと、以後はレギュラーを獲得。2012年に行われたロンドン五輪や2014年のブラジルW杯を戦う日本代表メンバーにも選出され、その存在感を高めていった。