ボスニア紛争が与えた影響は?人生の哲学は?

ボスニアはデリケートな時代を送った。私の妻が2、3日前に日本の歴史の本を買ってきて、それを読んだ。日本でもやはり難しい時代があったことを知った。

私も、人生の中で個人的に困難な時代はあった。戦争の時にはそこにいたし、私も怪我をした。守らなければならないということを経験した。国を守るために闘った。しかしその中でも、私の仕事については信頼を持ちながらやっていた。

そして私はサッカーを大好きになった。政治的な話も宗教的な話もすることはないが、サッカーのおかげで人生は素晴らしいことになった。選手としても、監督としても、サッカーのおかげでいろいろなタイトルを獲ることが出来た。

私が集中しているのは、日本の監督としてより良い状況に持って行くということだ。これに関しては、私は熱意に満ち溢れているし、向上心があるし、この国で何かを成し遂げたい。

日本のようにサッカーをしっかりやっているところへ呼んでくれたことを感謝している。サッカーは魔法のようなものだ。その情熱がいろいろなものに影響していく。私の全てはサッカーに捧げている。

日本での生活、国、文化に対する印象、サッカー以外で楽しみなことは?

少し日本の文化は知っている。日本食レストランもパリにあるから少しは知っている。

家族は私よりも寿司が好きだ。私は今晩おそらく大仁会長、霜田技術委員長と日本食を食べに行くだろうと思う。皆さんが口にしているものを口にし、慣れていきたい。皆さんの文化、料理に関してもリスペクトしていきたい。

そうすることでうまく行くのではないかと思っている。ここに紹介してくれた皆さんも、日本は素晴らしいと言ってくれる。ただ、家族がいつも私と一緒であるわけではないので、難しい時もあるだろうけども。時々は日本の特別な食事も試してみたい。

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