日本時間で14日の夜からFAカップ決勝戦、チェルシー×ポーツマスが開催されるが、決戦を前に、ブラニスラフ・イヴァノヴィッチはグラントとの間にあった“いざこざ”を暴露した。

それは、現在はポーツマスの監督を務める、アヴラム・グランドがチェルシー時代の監督だった時のこと。2008年1月にロコモティフ・モスクワからイヴァノヴィッチがチェルシーにやってきた時のことだ。

セルビア代表DFは、900万ポンド(現在の日本円で約12億円)で加入したが、活躍機会が与えられず、出場するまでに8ヶ月を要したことは記憶に新しい。そして、この当時のイヴァノヴィッチとグラントとの関係も最悪だったようだ。

「今は、グラントに対して何の感情もないよ。だけど、彼によって、ファーストチームから追い出された時は本当にキレたよ」
「チェルシーに加入した当初、色々と問題があったんだ。ロシアリーグからやってきたわけだけど、その時期ロシアリーグはオフシーズンでね。正直言って、まだプレイできる準備が整っていなかったんだ。トレーニングやクラブ、環境に慣れるまでに時間も要した。そして、怪我もしてしまったね・・・、戻ってきた頃にはシーズンも終わっていたって感じだったよ」
「当時も非常に強いチームだったから、チャンピオンズリーグでは決勝を目指し、国内リーグでは、今季のようにユナイテッドとデッドヒートを繰り広げていたんだけど、そのシーズンは、僕のキャリアの中で最も辛いシーズンになってしまったんだ」

クラブで冷遇されていた頃のことを、The Evening Standard に語ったイヴァノヴィッチ。場合によっては、チェルシーで出場機会が与えられぬまま放出対象となっていたかもしれないが、当時の彼を救う存在もあった。アンドリー・シェフチェンコだ。

「アンドリーが僕にしてくれたことは忘れることができないよ。本当に僕を支えてくれたんだ。自信を与えるために励ましてくれたり、プレミアリーグのスタイルについても教えてくれた。このリーグで戦うために『ディフェンダーとして何が必要か』とか、『改善すべきところはここだ』とかね」
「当時は彼も難しい日々を過ごしていた。怪我もあって、なかなかチームの中で居場所を見つけられずにいたんだ。けれど、彼は決して自分だけのことを考えるようなことはしなかった。僕のことを自分のことのように悩んでくれたんだ。彼には感謝してもしきれないよ。僕がチェルシーでプレイできるようになったのは彼のおかげなんだからね」

その後、シェフチェンコはディナモ・キエフへ移籍し、イヴァノヴィッチは世界からも称賛を浴びるライトバックとして、チェルシーで不動の地位を築いたことは周知の通り。

監督との軋轢(あつれき)、仲間との友情・・・。

ピッチの外という場所は、滅多に陽の目を浴びることはないが、そこには数多くのドラマが存在する。

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