・証拠はあったのに

FIFAの報告書によれば、ペルマル氏は2010年6月30日まで南アフリカに残っていたという。彼はワールドカップの試合を操作するため、審判に40万ドルを提供しようとしたが、断念したという。その理由は、『口が軽かった』からだ。

ワールドカップの後、フリーランス・ジャーナリストのマーク・グリーソン氏は、『アフリカの連盟の幾つかが親善試合で結果を操作した疑いがある』と報告した。

しかし、その当時FIFAは何もしなかった。

実際、FIFAは2012年3月まで――およそ2年にもわたって、疑わしい試合を調査しなかった。その時までに、ミスター・チャイブは45歳になり、定年に達した。

FIFAは活動しているレフェリーだけを調査すると言った。従って、ミスター・チャイブへの調査は止まってしまった。

元FIFAの調査官テリー・スティーンズ氏はインタビューで言った。『我々が思っていたよりも時間がかかった』と。

その時、彼はFIFAの調査担当のスタッフは5人になった、と言った。数ある国際試合の八百長を検査する責任を負う者が。この調査団には、召喚状を送る権限も、法的な執行能力もない。

調査団は南アフリカにわずか3日しか滞在せず、レフェリーにも、チームにも聞き取り調査をしなかった。スティーンズ氏によれば、この時にミスター・チャイブ氏に聞き取りを行おうとしたが、失敗したという。

FIFAの職員は2012年10月に報告書を受け取り、南アフリカの職員に渡した――それは、ほとんど意味のある行為ではなかった。数人の南アフリカの審判が停職になったが、その後復職した。

また、FIFAは何人かの南アフリカの審判による試合結果の操作、及び共謀に関する”明白な証拠”を発見したが、誰も犯罪で告発されることはなかった。

疑わしい南アフリカの試合が行われた3ヶ月後。ペルマル氏は別の大胆な出来事に関与した。

2010年9月、トーゴの代表チームであると自称するニセのグループをバーレーンに送り込み、親善試合を行ったのだ。その試合のレフェリーは?――ミスター・チャイブだった。

フットボール4U、及びミスター・チャイブの存在は、サッカーの大会を主催するオーガナイザーを不安にさせた。

南アフリカ連盟の職員であるアディール・カレルス氏は、迷いつつもこう話した。2011年、ヨハネスブルクで行われた23歳以下の大会で、ミスター・チャイブが審判を務めることを知ったという。彼は土壇場でミスター・チャイブを交代させるため、南アフリカのレフェリーを詰め込んだ車を飛ばしたと明かす。